徳川家と江戸庶民を守った寺
まっすぐ行けば、5日前に来た谷中銀座。
直進せず、左の階段を上ると…
谷中霊園の案内図を見て気がついたのですが、白い部分は寛永寺の徳川家墓地でした。
そう、これから向かうのは寛永寺。
最寄駅はJR鶯谷ですが、一つ手前の日暮里駅から歩いてみる事にしました。
さくら通り。前回とは反対側から。
この途中に、寛永寺の五重塔の跡地があります。
再建された五重塔は、今は上野動物園の中にあります。
昔はこんな感じでした。
※2011/8、念願の、上野動物園内の五重塔を見ました!
五重塔のところで左折。なんとなく左前に行けば寛永寺に行けるはず…
しかし、迷いました(笑)
徳川慶喜の墓所を右に半周し、そのまま直進するとT字路に。
そこを右折すれば、正面が寛永寺。
寛永寺の通用門に到着。右に道なりに行くと…
これが正門かな?
こじんまりとした境内、その奥に根本中堂が。…あれ?
先ほどの門より少し先、こちらが正門でした。
鐘楼は残っているものの、
境内には、根本中堂(本堂)のみ。
天海大僧正は寛永二(1625)年に、二代将軍徳川秀忠から寄進されていた上野忍が岡に、平安京と比叡山の関係に倣って「東叡山寛永寺」を開きました。比叡山が京都御所の鬼門守護・王城鎮護を担うのに倣い、こちらは江戸城の鬼門の守りを意味しました。
そして、比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立します。
それが、上野恩賜公園にある… http://blogs.yahoo.co.jp/tarere3/42934038.html
清水観音堂、不忍池弁天堂、上野大仏、そして旧寛永寺五重塔。
かつては、5代将軍綱吉により、上野公園中央噴水の地に根本中堂が建立されました。
清水観音堂、不忍池弁天堂、上野大仏、そして旧寛永寺五重塔。
かつては、5代将軍綱吉により、上野公園中央噴水の地に根本中堂が建立されました。
明治時代に入り復興され、子院の一つであった大慈院の地を本坊と定め、川越喜多院から本地堂を移築し、根本中堂としました。
ご本尊は薬師瑠璃光如来。
天台宗の宗祖・伝教大師最澄上人作と伝えられます。
普段は、内陣どころか外陣も拝観できません。
しかし、月に数回特別拝観があります。
見上げた屋根の上では、狛犬?獅子?が逆立ちしていました。
そろそろお腹が空いたので、レストランを探しつつ上野公園へ向かいます。
寛永寺 http://www.asahi-net.or.jp/~dz3y-tyd/tera/kaneiji/kaneiji.html
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