【寺社めぐり】学問の神様(菅原道真) | 転勤族☆たれ旅ぶろぐ2 from 千葉(転勤8回目!)

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 亀戸天神の梅を見たところで、今週末はもうひとつの天神の梅を見に行くことになりました♪

 そこで、ご祭神・菅原道真について調べてみます☆
 平安時代の学者、漢詩人、政治家。845年~903年。

 宇多天皇に重用され昇進し、醍醐朝では右大臣にまで昇進しました。
 しかし、左大臣藤原時平に讒訴され、大宰府へ権帥として左遷、現地で没しました。

 死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となりました。現在は学問の神として親しまれます。
 その生涯を簡単に紹介すると…

・奈良生まれ
・幼少より詩歌が得意

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・33歳で文章博士(文学を教える官)になる

・宇多天皇が道真を用いて藤原氏をけん制する
・宇多天皇の子・斉世親王を妻とする(同年、宇多天皇から醍醐天皇に譲位)

 醍醐天皇の下でも昇進をつづける道真。
 ところが、道真の主張する中央集権的な財政に、藤原氏など有力貴族が反発し始めます。

・右大臣に昇進し、右大将を兼任
・従二位(上から4番目)に昇進
 この頃、斉世親王を皇位に就け醍醐天皇から簒奪を謀ったと密告され、大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷されます。宇多上皇はこれを聞き醍醐天皇に面会してとりなそうとしましたが、醍醐天皇は面会しませんでした。

 時平による全くの讒言とする説から、宇多上皇と醍醐天皇の対立が実際に存在していて道真がそれに巻き込まれたとする説まで、諸説あるようです。
★飛梅伝説

 飛梅は、福岡県太宰府市の太宰府天満宮の神木として知られる梅で、樹齢1000年を超えるとされます。
 菅原道真の京都の邸宅に植えられていましたが、901年に道真が大宰府権帥として左遷されると、あとを慕って一夜にして大宰府に飛んだそう。
 だから、天満宮といえば梅なのですね~。

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 「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

 道真が、京の都を去る時に詠んだ歌。
 なんとも切ない歌ですよね…。


★牛

 天満宮といえば、梅の他にもう一つ、なで牛。
 延喜3年(903)2月25日、道真は南館(榎寺)において生涯を終えます。

 御遺骸を牛車に乗せて進んだところ、間もなくその牛が伏して動かなくなりました。
 道真の御心によるものであろうと、その聖地(現・大宰府天満宮)に御遺骸を葬りました。
 だから、どの牛も伏した状態なのですね~。

 北野天満宮の牛。

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 亀戸天神社の牛。

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★天満宮と天神社
 道真の死後、京には異変が相次ぎます。
 要人が次々に病死し、清涼殿には落雷。
 道真は雷神と結び付けられ、祟りを鎮めようと、火雷天神が祀られていた京都・北野に、北野天満宮が建立されました。

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 天満宮と天神社は何が違うのでしょう?
 そもそも天神とは、天の神の事で、道真の事ではありません。
 「天満大自在天神」略して「天満天神」と呼ばれています。

 天満宮(天満天神宮)、天神社(天満天神社)、菅原神社…呼び方は色々あるようです。

 「宮」と「社」の違いは…神宮と神社の違いと同様なのかな?
 調べてもわかりませんでした…。

 日本三大天神は…

 大宰府天満宮 http://www.dazaifutenmangu.or.jp/



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 大宰府天満宮と北野天満宮の由来は、上に書いた通りですが、大阪天満宮の由来は…
 道真公は摂津中島の大将軍社に参詣した後、太宰府に向いましたが、2年後にわずか59歳でその生涯を終えました。

 その約50年後の天暦3年(949年)のある夜、大将軍社の前に突然七本の松が生え、夜毎にその梢は金色の霊光を放ったと言われます。

 この不思議な出来事を聞いた村上天皇は、これを道真公に縁の奇端として、同地に勅命を以て鎮座されました。
 どうやら、大将軍社の境内に大阪天満宮ができたようです。
 大将軍社はチェックしかなったなぁ…。大阪在住の方、ぜひ見てきて下さい☆


 この他、全国には多くの天満宮・天神社があります。

 菅原道真の末裔の、九州の太宰府天満宮の神官・菅原大鳥居信祐が、天神信仰を広めるため諸国を巡ったそうです。


 東京・亀戸天神社 http://blogs.yahoo.co.jp/tarere3/42830083.html
 元々あった天神の小祠に、道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされます。

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 東京・湯島天満宮 http://blogs.yahoo.co.jp/tarere3/44686824.html
 雄略天皇の勅命により、458年創建された由緒ある神社。
 1355年に菅公の御偉徳を慕い、本社に勧請し、太田道灌(江戸城を造った人)が再建。

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 ※転勤や旅行で行く度に追記していきます☆