【寺社めぐり】厄除の神様(平将門) | 転勤族☆たれ旅ぶろぐ2 from 千葉(転勤8回目!)

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 千葉に引っ越してきてから、平将門の事を目にする事が増えました。
 「平将門の乱」の主人公、としか覚えていなかったので、本を借りて読んでみました。
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 小説なので、史実とは少々違うかもしれませんが…あらすじを紹介します☆



 平将門は、平氏の姓を授けられた高望王の三男・平良将の子で、桓武天皇の5世目の子孫。

 時は平安、醍醐天皇から朱雀天皇の時代へと移った頃。将門はいとこの平貞盛と共に、東国(下総国・現在の千葉北部、常陸国・現在の茨城)から平安京へと出て、藤原忠平に仕えていました。貞盛は要領良く仕事をしていましたが、将門はその人柄は認められていたものの官位は低いままでした。

 東国へ戻りたい…。その願いが叶うような事件が起こります。
 下総を治めていた父・平良将が亡くなった途端、平一門の棟梁・国香(貞盛の父)・良兼・良正、つまり父の兄弟達が、父の領地に攻めてきました。
 将門は一族間の付き合いが悪く、父・良将もそういう面があったのです。

 しかし、貞盛は父よりも将門の味方でした。
 将門が藤原忠平に帰郷を願い出ると、次のような命が下ります。
 「わが藤原家の氏神は大和の春日大社だ。しかし大社に祀ってある祭神の源は、常陸の鹿島の宮におわす。わが藤原鎌足公は常陸のご出身だという説もあるくらいだ。その常陸国を、宇合様(「常陸風土記」を編集した人)はよく「常世の国」とおおせられていたそうだ。」

 常世の国は、中国の神仙思想に基づく、不老不寿の国で、人間の理想郷。

 「ひたちというのは「日立」のことだと伝えられている。ひたちの国の東の海から日輪が出る。つまり太陽が立つ。したがってひたちの国は日輪の出発地だ。常陸国は常世の国であるということはまちがいない。そういう国ができ始めたら、いつか私もぜひ訪ねてみたい。そして祖先伝来の藤原家の夢を、この眼で目の当たりにしてみたいのだ。」 
 東国を安定させ、東国の美しさ・良さを住民が自覚し、自分たちの力で治められるようにしたい。
 都の暮らしに向かない人々を迎えたい。

 常にそんな思いを抱いていた将門は、忠平の言葉を耳にした途端に、感動で身を震わせました。
 「絶対に口外せぬよう」命じられたものの、貞盛だけには告げて、東国へと向かいます。
 将門は、朝鮮半島から渡来した高句麗・百済・新羅の人に技術を教わり、素晴らしい土地を整備し、立派な馬を育てていきます。

 しかし、良兼の娘・さくらが将門のところへ逃げてきたり、将門の正妻である君の御前の父・平真樹と源護(伯父達と懇意にしている)が境界争いをしたりと、次々と揉め事に巻き込まれます。その度に伯父達と争いを起こします。 
 将門の圧倒的な強さに、伯父達は次々と破れていきます。その度に伯父達は朝廷に告げ口しますが、貞盛が相変わらず将門の味方をする等して、朝廷は「伯父達の方が悪い」という判断を下します。

 しかし藤原忠平は、何度も揉め事を起こす将門に対して「どうしてうまく人付き合いができないのか」といらだち、次第に将門を見捨てるようになります。
 この頃、「義に厚い武将で、常に弱い者の味方をする」純粋な将門を利用しようとする、興世王と再会します。興世王は皇族に生まれながらも、藤原一族の眼にかなわず、親王になれませんでした。そこで、皇孫が支配する国を造ろうと考えます。

 興世王にそそのかされた将門は、常陸国庁を襲撃し、国印と鍵を奪取します。これにより朝廷は「平将門を追捕せよ」との厳命を下します。

 さらに興世王の策略により、八幡大菩薩の使いを演じる巫女から「菅原道真が魂を捧げる」と天皇の地位を授けられた将門は、親皇となってしまいます。この頃から、将門を慕っていた人々の気持ちが、次々に離れていくのでした。
 将門は、常世の国の天皇であり、都の天皇とは別だと思っていました。そして、武人がいったん口にしたことは、たとえ間違っていたとしても守らなければならない、と思っていました。

 将門は藤原忠平に、これまでの経緯と真意を綴った手紙を送ります。
 忠平が真意をわかってくれず、今度こそ完全に見放すに違いない、とわかった上で…。
 将門に信頼されていた藤原秀郷(何度も謀反を起こして藤原一族からは問題視され、一時期は将門を慕っていた)は、将門を討つと決意しました。貞盛も忠平の命で、将門を討つと決意しました。

 両軍が攻めてきた時、将門は兵を集めましたが、ほとんど集まりませんでした。
 戦が始まり、ついに秀郷と貞盛は将門の姿を見つけました。

 貞盛は祈りました。

「将門よ、俺の矢を受けろ。そして、死ね。しかし、おまえを殺したからといって俺の友情にいささかも変わりはない。将門よ、俺はいまのいまでもおまえが好きだ。頼む、俺の矢で死んでくれ。」

 二人は同時に矢を放ち、将門は二本の矢を同時に額に受け、落馬しました。
 将門の死に顔は安らかで、かすかに微笑みさえ浮かべていました。
 この後、将門の首は都で晒され、様々な伝説が生まれます。
 東国では夜になるとしきりに風が吹き、黒い雲が次々と現れ、雷鳴が響き、大雨が続きました。
 人々は叫びました。「雲の上に、将門様がいらっしゃる」と。

 しかし、黒い雲はこの国に住む人々には害は与えませんでした。
 人々は、黒い雲に乗った将門から励ましの声を聞きました。

 平将門が死んでから、この国に住む人々ははじめて将門の志を知りました。
 人々は、都に背くわけではなく、東国らしさを保つ生き方をしようと、志を抱きました。

 いつしか、将門のことを「大明神」と呼ぶようになりました。
 千葉に来た時、海も山も川もあって土地が豊かで、農業も工業も盛んで、空港もテーマパークもあり、
もしも各地でクーデターが起きたり地震で壊れたとしても、一つの国として機能できるなぁ…と思った事がありました。

 その一端を担ったのが平将門だとは、小説を読むまで知りませんでした。


 いつの世も、自分の信念を貫き、夢を実現させる事は難しい。
 そこには必ず、周囲との付き合い方や目論見が絡んできます。

 でも、有言実行できる人は、敵も多いけれど味方も多い。
 なんとなく、おととし頑張っていた大阪府知事を思い出しました。
 

 さて、今週末は平将門を祀る神田明神に行ってきます。お楽しみに☆