半覚醒による「非二元」と「今ココ」の悟り | 愛とエロスのLEGEND SOLDIER【覚醒戦隊GODZIGENGER】幸福の超科学の言霊実現党

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地球の次元上昇を使命に人類の人間型ゲシュタルトを破壊する善悪統合のHERO!
衆生回向を願って適当戦隊イイカゲンジャー的に生きている自称半覚醒者・与太郎の
愚鈍な「悟りバカ日誌」で一般常識や固定観念を破壊してエロミナティの世界へ誘います♪

 

【ヌーソロジー2017シリーズ】

 

2037年から半霊半物質化➡6500年後にアセンション

 
 
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天下の与太郎です。
 
 
僕は「非二元」「今ココ」を悟っているつもりですが、
それは巷のスピで説かれているものとは違います。
 
 
まず「今ココ」の説明はすぐに終わるので、
今ココから説明したいと思います。
 

 
 
■一般的にいわれている「今ココ」は、
過去でも未来でもない今この瞬間ですが、
その発想では時空を超越できません。
 
 
過去・現在・未来という三元論は、
「今ココ」に集約されて一元化していて、
それをまず理解することが大切です。
 
 
 
時間の本質は非三元であり、
一元という意味で非二元でもあります。
 
 
人間が認識する今この瞬間は、
実際には「過去」なのですが……
 
 
その説明をしても意味がないので、
過去も現在も未来も同時に存在し、
それは「今ココ」にあると理解して下さい。
 
 
 
いわゆる「中今」という概念ですね。
 
 
過去は過ぎ去ったものではなく、
未来は未だ来ぬものではないということです。
 
 
 
 
 
■グノーシスや日月神示は「三元論」を説き、
その意味でも非二元なのですが、
佐藤博士は物理学で「非二元」を説いています。
 
 
5次元意識の到達のためには、
二元性の世界観から抜け出して、
四元性を認識する必要があるのです。
 
 
 
禅系のスピリチュアルによると、

この世は二元性の世界で、

一元回帰することを悟りとしていますが、
この世の四元性を理解することが先です。

 

 

 

世の覚醒者たちが説く「非二元」は、

究極的には間違っていませんが、

そこに到達するまでの認識のプロセスや、

その方法論すら説かれていないので、

完全なる机上の空論に過ぎないのです。

 

 

 

まず、前提として必要な知識があります。

 

 

 

インド哲学は『ヴェーダ』として編纂され、

7種類に分類されている中で、

根本聖典(サンヒスター)が次の4つです。

 

 

賛歌『リグ・ヴェーダ』

 

祭詞『ヤジュル・ヴェーダ』

 

歌詠『サーマ・ヴェーダ』

 

呪詞『アタルヴァ・ヴェーダ』

 

 

これを根本として、

 

 

祭儀書『ブラフマーナ』

 

森林書『アーラニヤカ』

 

奥義書『ウパニシャッド』

 

 

を、付随して成立したのが、

バラモン(ブラフマン)教です。

 

 

 

そのバラモン教とアショカ仏教が融合し、

ヒンドゥー教が成立していったのですが、

それが日本に伝来して神道になりました。



ヒンドゥーはシンドゥーとも発音し、

「神道教」として日本に伝わって、

今でも鹿児島の民俗宗教として残っています。




ヒンドゥー教を日本にもたらしたのは、

イスラエル民族でした。



イスラエル10支族(出雲族)がシヴァ派で、

2支族のユダヤ人(日向族)がヴィシュヌ派、

シヴァは「バアル」でヴィシュヌは「アトン」です。



その後、原始キリスト教団の秦氏が渡来し、

同じ部族の日向族と併合して、

原始キリスト教はヴィシュヌ派の神道に習合しました。

 


 

 

ヒンドゥー教の絶対三神は、

 

創造神「ブラフマー」

 

維持神「ヴィシュヌ」

 

破壊神「シヴァ」

 

 

 

 

 

これはキリスト教の絶対三神

 

御父「ヤハウェ」

 

御子「イエス・キリスト」

 

聖霊「ルーハ」

 

に対応しています。

 

 

 
 

 

『古事記』に於いては造化三神、

 

天御中主神

 

高御産巣日神

 

神産巣日神

 

となりますが、

 

 

天御中主神はブラフマーではなく、

ヴィシュヌに対応しています。

 

 

それは歴史言語学的に、

御中主はミチュウヌシで、

ヴィシュヌ神を語源とするそうです。

 

 

 

 

 

それはともかくとして、

絶対三神が「三元論」の元ですが、

究極的には一神に集約されるので、

結局は一元回帰になるのですが、

そのさらに元が存在します。

 

 

創造神ブラフマーは、

ブラフマンを神格化したものであり、

根源はブラフマンだということです。

 

 

 

 

『古事記』では天御中主神が原初の神ですが、

『日月神示』には次のように示されています。

 

 

「天御中主神のその前に、

あめゆずる日あめのさぎりのみこと、

くにゆずる月くにのさぎりのみことあるぞ。

🔘の🔘の🔘であるぞ。

その前に・あること忘れるなよ」

 

(🔘←マルチョンのつもり)

 

 

 

つまり根源の「・」が宇宙の根本原理である

ブラフマンだといえると思います。

 

 

また、天御中主神という原初の唯一神の前に、

「あめゆずる日あめのさぎりのみこと」

「くにゆずる月くにのさがりのみこと」

という二柱の神が存在するのは興味深いです。

 

 

 

何故ならヌーソロジーでも、

究極の神は双子だとされているからです。



これがツインソウルの原型でしょうか。

 

 

しかし、その元は宇宙の根本原理である

「・」ということになります。

 

 

 

 

 

■話を戻します。

 

 

奥義書『ウパニシャッド』には、

次のように書かれています。

 

 

「人は『あの神を拝め、この神を拝め』と言う。

だがそれら総てはブラフマンの創造である。

ブラフマンこそ総ての神である」

 

 

「全世界は最も本質なるものを魂とする。

それはリアリティ。それはアートマン。

それは汝なり」

 

 

 

ブラフマンが人間の魂として顕れたのが、

アートマンと呼ばれています

 
 
しかしブラフマンは宇宙の根本原理であり、
「非人格神」だといわれています。
 
 
 
宇宙の根本原理といわれても意味不明だし、
その非人格神が自分の魂だといわれても、
僕には全然納得できないのですが、
「ブラフマンは人格神」という説もあります。
 
 
 
 
 
 

仏教ではブラフマンを「梵」

アートマンを「我」と表記しますが、

『ウパニシャッド』では両者の一体性を説き、

この至高体験を「梵我一如」といいます。

 

 

梵我一如は「天人合一」とほぼ同義語で、

前々回の記事にも書きましたが、

天人合一とは違う意味合いで書きました。

 

 

 

何次元の創造神であっても、

それは今の自分の意識だという気づきです。

 

 

それはともかくとして、

梵と我、天と人、言い方は違いますが、

要するに神と人ということです。

 

 

 

オコツトによると、

「宇宙の最も根元的な二元性は神と人間」

とのことですが、例の梵我一如の体験で、

それをリアルに実感することができました。

 

 

つまり一元回帰による非二元ですが、

世の覚醒者たちが説いているような、

中身のない虚構とは全く異なります。

 

 

 

 

 

■話を戻しますが、

『ヴェーダ』から六派哲学が生まれました。

 

 

【ミーマーンサー学派】

 

祭祀による幸福を説く。

 

 

この形骸化した祭祀を釈迦は批判したが、

形式がダメだという意味ではありません。

 

意識次元が高くなると形式は不要で、

僕も形式は重視していないけど軽視もしていません。

 

 

 

【ニヤーヤ学派】

 

論理の追求による解脱を説く。

 

 

ヌーソロジーはこれに該当します。

 

例の僕の梵我一如体験もそうでした。

 

 

 

【サーンキヤ学派】

 

精神原理と物質原理の二元論を展開。

 

物質から精神を解放する事で解脱を目指すが、

絶対神の存在は認めていない。

 

 

絶対神とは唯一神のことですが、

それは二神でもあり三神でもあり、

多神でも汎神でもあるので捉え方次第で、

絶対神の存在を認めなくてもいいと思います。

 

 

また無神論を意味するとしても、

無神論と有神論も究極的には同じなので、

無神論でも構わないと思います。

 

 

サーンキヤ学派の場合、

神を信じる無神論だといえると思います。

 

 

物質から精神の解放は……

つまり「霊主体従主義」ですが、

1つの真理なので間違いではありません。

 

 

 

【ヴァイシェーシカ学派】

 

自然哲学の研究。

 

物質を認めるが、

物質は非物質で構成されている事を説く。

 

 

これは古代の量子論ですね。

 

 

「霊主体従」にも「体主霊従」にも偏らない

「霊体一致」の真理を説いていて、

釈迦の教えである「中道」だと言えます。

 

 

 

【ヨーガ学派】

 

心身の訓練によって、

心身の統一を図ることで解脱を説く。

 

 

これも物質や肉体を否定せず、

精神との統一を図る「中道」です。

 

 

ヨーガは「結合」の意で、

心身の結合を意味しますが、

究極的には「梵我一如」を意味します。

 

 

 

【ヴェーダーンタ学派】

 

ヒンドゥー教の核となる思想で、

『ウパニシャッド』を重視し、

「不二一元論」を展開。

 

「梵我一如」により、

ブラフマン以外に実在はなく、

世界は幻影だという思想である。

 

 

前々回の記事で僕が話したことは、

ブラフマンも実在ではなく幻影で、

この宇宙は更に高次の自己の細胞の1つで、

それが無限に続くという壮大な理論ですが、

その話は壮大すぎるのでやめておきます。

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興味深い事は、

ヴァイシェーシカ学派が、

「言葉は『実在』に対応する」

と説いていることです。

 

 

当然、祭祀主義のミーマーンサー学派でも、

言葉(マントラ)による祭祀が執り行われた。

 

 

 

普通に考えると、

六派は対立した思想のように見えますが、

ジャイナ教が主張する「相対主義」で見れば、

六派哲学は究極的には同じ事を説いています。

 

 

同じ事というか、もし六派を統合すれば、

各学派の説明不足を補う形となって、

偏りのないバランスの取れた思想となります。

 

 

 

もちろん与太郎哲学は六派哲学をも包含し、

矛盾することなく整合性が取れています。

 

 

六派哲学を一元化した非六元ともいえます(笑)

 

 

しかし、ジャイナ教はバラモン教の祭祀や

『ヴェーダ』の権威を否定していました(笑)

 

 

 

宗教家には「霊主体従」主義者が多く、

科学者には「体主霊従」主義者が多いです。

 

 

「霊主体従」は右脳思考(精神重視)

「体主霊従」は左脳思考(物質重視)

 

 

と言い換える事が出来ますが、

重要なのはバランスであり、

釈迦が「中道」を説いたのもその為です。

 

 

 

精神を軽視した物質至上主義が、

現代社会を生み出したことは事実ですが、

物質を軽視した精神世界も危険思想です。

 

 

 

●オコツトは次のように言っています。 

 

「物質的知識の獲得の目的は、

そこで得られる知識自体にあるのではなく、

それらの知識に根本的な刷新を与えること。

つまり、物質的知が精神的な知へと

変容するところにあるのです」

 

 

科学が世界の危機を生み出している現在は、

文明大転換期の直前にあると言えるでしょう。

 

 

 

●アリオンはこう言っています。

 

「終わりは始まりに似ている。

始まりは終わりに似ている」

 

 

「さて、時は熟してきた。

破壊を恐れるな、真の破壊には

創造が必ずセットされているからだ」

 

 

 

●オコツトはこう言っています。

 

「真の創造行為とは、

あなた方にとって眼前に展開されている世界の多様性を、

『一なるもの』に統合していくところにあります。」

 

 

 

●すなわち「一元化」ということですが、

オコツトと半田氏の交信記録を見て下さい。

 

 

「真理への到達とは認識の完全化として立ち上がります」


「認識の完全化?」


「そうです。

あなたがたが使用している言語に訳するとすれば、そのような言い方が最も的確でしょう。
認識の完全化とは、全ての二元対立を統合する力を持った認識プログラムのようなものです」

 


「しかし、認識の完全化を行うその目的は何なのですか」


「目的ですか……認識の完全化が起これば
そのような疑問も存在しなくなるのではないですか。
だから認識の完全化という言い方をしているのですが……」



「それでは、あなたの言っていることは
過去の神秘家たちが言ってきたことと大差ないではありませんか。
仏教徒のようにすべての執着を捨て、世界の無常を悟り、
仏性を覚醒することが人間存在の究極の目的だと言われたいのですか。
そういうのはカンベンして下さい。
禅の公案のようにパラドックスを弄ぶような
レトリックにはもうウンザリしているのです。
そのような論法は何かを語っているようで何も語っていない。
それならば、なぜ人間に煩悩などというものがあるのですか。
煩悩があるのはわたしたちが何かを
生み出す能力を秘めてるからだとわたしは思ってます。
もし、わたしたちの存在世界が目指しているものが、
それこそ正体不明の空や仏性だとするのならばそれはあまりに虚しい。
もし、一切が空だと言うのならば、
そもそも世界はなぜ存在するに至ったというのですか。
なぜ、空は空のままでいなかったのですか。
あなたがおっしゃっていることには何か
根底的なところで矛盾があるような気がしてなりません」



「やっと問題の核心に近づいてきたようですね。
仏性とは確かに人間が認識の完全化を起こすことを意味しますが、
それは決して正体不明なものなどではありません。
実はこの力を生み出すことが
新しい太陽系の創造と深く関係しているのです」



「新しい太陽系の創造……?
人間が仏性を獲得する時に次の太陽系が創造されるというのですか」



「そうです。
すでに何度かあなたにお伝えしてきたことですが、
人間が認識の完全化を達成すれば、
わたしたちが新しい次元と呼ぶところのもの、
すなわち第8次太陽系が活動を開始します」



「ちょ、ちょっと待って下さい。
でも、それじゃあまりにも話が飛躍してしまう。
人間の意識の変容がどうやって太陽系に影響を与えるというのですか」



「いいえ、全く飛躍などしていません。
飛躍して聞こえるのは、
あなたがプレアデス的統制の中でしか思考を行っていないからです。
あなたは宇宙創造という言葉を聞くと、
すぐに物質的なイメージで宇宙を生み出すことを考えてしまっています。
しかし、あなたがたが物質・エネルギーと呼ぶものと、
あなたがた自身の意識とは、
ある巧妙な空間的構造の中で一体となって動かされているのです。
先ほど思考が何のために人間に与えられたのかと言っておられましたが、
精神作用の中で思考に与えられた働きは、
思考自体がこの構造を見つけ出すことにほかなりません。
思考はこの構造に変化を与え、
新しい構造へと組み換えていく力を持っているのです。
わたしがあなたにプログラムしようとしているのは、
このような新しい思考様式を生み出すための基本的な概念であり、
認識の完全化とは、いわば認識しているものと認識されているものが
完全な一致を見る方向性に思考様式を変更していくことを意味しているのです」



「つまり、思考によって悟りの境地に到達することができるということですね」


「そのようなものです。
思考こそ本源的な愛にたどりつく唯一の力だと言ってもよいでしょう。
思考によって認識を変え、認識を変えることによって今度は感覚を変える……
そして、感覚の変化はあなたがたの感情さえも凌駕し、
人間の意識全体を全く別のものへと変容させていくのです。
意識進化とはそういうものです」

 

 

 

 

■話をまとめると、

真理と仏性への到達と真の創造行為には、

すべての二元対立を統合する力が必要で、

それを「認識の完全化」といいます。

 

 

菩薩会という禅定の会によると、

仏教の最終目的は次の3つで、

それらはワンセットだと説いています。

 

 

「自己究明」「他者救済」「生死解決」

 

 

これは完全に「半覚醒」のことです。

 

 

自己究明とは……

真の自己発見=魂の半覚醒で、

半覚醒すると自他の一体性を認識するので、

人生の目的と生活が他者救済となります。

(※人の為という意識はない)

 

 

生死解決とは……

半覚醒によって生死や自他や左右や内外など、

二元性を一元的に捉える認識力の獲得で、

「認識の完全化」と同義語だといえます。

 

 

 

それが「真の非二元」ですが、

認識の完全化に至るにはプロセスがあり、

それが次元観察子Ψで説明されています。

 

 

2年位前までは僕もよく理解しないまま

過去のブログで度々紹介してきましたが、

2年位前にジックリ読んで理解したところ、

僕の意識進化のプロセスと全く同じでした。

 

 

 

それでオコツト情報は本物だと確信し、

表現は違えど「左右反転」と同様の概念も、

ちゃんと書かれていたので驚きました。

 

 

左右反転はあくまでも感覚であり、

視覚では左右は左右のままなので、

左右という二元の等化による一元化です。

 

 

 

それは佐藤博士がいう四元性の認識であり、

5次元意識に到達する前の空間認識です。

 

 

それを裏づける材料も3年前に発見し、

「位置の逆転現象」という言葉でしたが、

4次元意識が高まると起こるとのことでした。

 

 

 

僕が半覚醒する1ヶ月前から

左右反転の認識が起き始めたのは、

錯覚ではなかったことが証明できました。

 

 

そして5次元に突入するときに、

正八面体がキーとなるのですが、

その話は本題から外れるので割愛します。

 

 

 

5次元意識に到達して半覚醒すると、

「内外反転」の認識が生まれてきますが、

視覚では内外は内外のままの認識なので、

内外という二元性が一元的に等化されて、

「内外一致」という認識になるのです。

 

 

僕も肉体を持っている人間である以上、

肉体の自分を「自分」と認識する自我は備わっています。

 

 

 

しかし半覚醒した魂の意識は体外に存在し、

それは特定の位置に存在する個体ではなく、

遍在している感覚で宇宙そのものといえます。

 

 

その視点からは人間の自分と他者は、

どちらも自分であり他者でもある感覚で、

世界と自分、自分と他者に対する感覚は、

人間の感覚とは全く異なるものになります。

 

 

 

自己と他者、世界と自己の一元認識なので、

世界観や世界認識そのものが正反対なのです。

 

 

もちろん自我は希薄ですが備わっているので、

こうして肉体で人間界に生きているわけです。

 

 

 

その認識の完全化によって、

新しい宇宙の創造、

即ち「第8太陽系次元」が形成され、

人類が4次元化していくということです。

 

 

バカの一つ覚えのように、

「非二元」という言葉を広めても、

人々の認識の完全化は起こりません。

 

 

僕の認識の完全化もまだ完全ではないので、

認識の半完全化といったところです(笑)

 

 

 

 

半田氏による「非二元」の見解です↓

 

 

『スピでは現在、ノン・ デュアリティ

(非二元)という言葉が流行だと聞く。


言って見れば大森のいう

「面」状態へと入ろうとしているわけだ。


ならばこの面妖なノン・デュアリティ状態から、

今度はいかにして

デュアリティが出現するのかを考えないと、

真のノン・デュアリティには至れない。


「一」を通して「多」が現れたとき、

はじめて「多」はあるがままで

「一」を体現することができるのだから。


そうした「多」に至って、わたしたちは

ノン・デュアリテイーを理解したと言えるのだ。


通常の時間軸は左右方向にある。

左が過去、右が未来だ。


このとき時間は過去から未来に流れていくように

感じられ、意識に悟性を供給してくる。


この時間においては身体は

物質的なものとして感覚化されている。


右方向への流れは文字通り身を着込む(ミギ)のだ。

エーテル体の流れが背景にある。


一方、未来から過去に流れている時間も存在している。

右から左だ。


この時間においては身体は純粋持続と接していて、

精神的なものとして感覚化されている。


左方向への流れは文字通り霊足り(ヒダリ)るのだ。

ここにはアストラル体の流れが背景にある。

 

それが達成されれば、

社会というものの存在意義が大きく変わることだろう。

 

なぜなら、そこに

「内在としての生」に貫かれた民衆が登場し、

内在としての社会が出現するからである。

 

それを社会と呼んでいいかどうかは分からないが、

そこにおいて始めて

「一即多」「多即一」の多様体的社会が可能になる』

 

 

 

非二元の感覚には段階があって、

最終的に「認識の完全化」に至りますが、

関西ヌーソロジー研究会の川瀬氏は、

巷の非二元の危険性を警告しています

 

『ワンネスには2種類ある。注意されたし。』パート1

『ワンネスには2種類ある。注意されたし。』パート2

 

 

 

 

■佐藤博士の講義の基礎は以下の通りです。

 

本来、この世は四元性の世界なのですが、

多くの人は自分軸(実軸)しか見えておらず、

他人軸(虚軸)が見えていないために、

この世を二元性の世界だと錯覚しています。

 
 
 
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