さて、前回の話の続きですが、
僕が寺から帰還して最も歓喜を感じたのは、
タバコを吸った時でした(笑)
(冗談ではないけど)冗談はさて置き、
今日から幸せになる方法が感謝ですが、
基本的なことを示しておきたいと思います。
過去に何度も書いてきたとおり、
「幸せになりたい」という想いを持てば、
「今は幸せではない」という現状認識が、
未来において実現し続けることになります。
生きる上で最も基本的なことは、
空気を吸うということですが、
窒息寸前まで息を止めてみてください。
他のどのような苦悩や不幸感よりも、
苦しいと感じるはずだと思います。
それで空気と鼻や肺などの呼吸器官が、
いかにありがたいものか再認識できます。
一般的に「衣・食・住」だとされています。
普通に着れる服が一着でもあれば、
服がないことに比べれば幸せですね。
野外で全裸で生活することを考えれば、
家があって服を着ていることは、
どれだけ恵まれているかが分かります。
そして、スイッチ1つで電気がついて、
蛇口をひねれば水やお湯が出て、
冷暖房設備で快適に過ごせることが、
どれだけありがたいことか……
夜、冷暖房を消して、部屋も真っ暗にして、
何か作業をしてみようとしてみてください。
お湯が出ないものだと思って、
水でシャワーを浴びてみてください。
この季節に水浴びは苦痛ですが、
水が出るだけでもありがたいことです、
両手が使えることもありがたいし、
タオルがあることもありがたい。
言い出せばキリがないですが、
そのキリがない「ありがたさ」を、
思いつく限りノートに書き出すのです。
1日3食を食べるのが当たり前の人は、
1日だけでも断食してみると良いでしょう。
食べ物のありがたみが少しは分かるはずで、
口や食道や胃腸などの内臓器官などにも
感謝できるはずだと思います。
その食べ物も自分の口の中に入るまでに、
多くの人々の作業によって作られています。
世界では5秒に1人が餓死していますが、
日本でも1日平均5人が餓死している中で、
どれだけ恵まれているか分かるでしょう。
「自分には食べ物があるだけ幸せだ!」
そのような認識は最初に持つ必要はありますが、
現実問題として世界中の多くの人たちが、
飢餓状態にあると言われていることを知ると、
自分の幸せだけを享受することはできません。
僕も20代前半で断食を始めた頃に、
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に、
収入の20%を寄付していた時期がありますが、
殆ど現地に届いていないことを知りました(笑)
難民問題について言えば、
肉食産業のために飼育されている家畜の餌、
その穀物飼料を難民に分配すれば、
世界から飢餓はなくなると言われています。
つまり、肉食が難民を生み出しているとも言え、
この社会構造を改革するためには、
まず自分が肉食をやめることから始まります。
周囲の特定の人に肉食禁止を強要すると、
それもまた人間関係に不調和が生まれますが、
世の中に発信していくことは重要だと思います。
「牛の物食べると牛のようになるぞ。
「日本には、五穀、海のもの、野のもの、山のもの、
若干話が逸れましたが(本当は逸れてないけど)、
難民には飢餓難民以外に戦争難民がいます。
もちろん、戦争難民の中にも飢餓難民もいて、
戦争で家を失った人たちのことですが、
難民に限らず戦争の中で生きるのは地獄です。
今も世界中のアチコチで紛争があり、
数多くの人々が死んでいますが、
今の日本人のように平和ボケしていると、
平和のありがたみは実感できません。
北朝鮮からミサイルが飛んできたら、
今抱えている苦悩など一瞬で吹き飛ぶでしょう。
常に生命の危機にさらされた環境も、
それはそれで強制内観にもなりえますが、
一応は安心して日々暮らせていることが、
どれだけありがたいことか分かるでしょうか。
昔の僕はいつも死と隣り合わせに生きていて、
そのスリルを自ら求めていましたが、
それは変な霊に憑り付かれていたからです(笑)
振り返れば昔の僕は明らかに変でした。
(今は今で変ですけど!^^;)
話が逸れかけたので戻しますが、
その他、心臓が動いていること、
目が見えること、耳が聞こえること……
感謝の対象は無限にありますね。
まずは感謝できることだけでもいいので、
思いつく限りノートに書き続けて、
それを1つ1つ深く実感することが大切で、
当然ながら僕も昔は何度もやってきました。
究極的に言えば、
個人的な自分の感謝できることだけを実感し、
それで幸福な人生だというのは低俗であり、
必然的に他者救済が生活のメインになります。
しかしまずは、自分が感謝できること、
感謝するべきことを徹底的に感謝瞑想すること。
当たり前に思っていたことを感謝する力、
幸せを築くのではなく幸せに気づくこと、
それが幸福の原点だと言っても良いと思います。
そして、実際に生活の中で実践してみるのです。
例えばトイレに行くとしますが、
まずトイレの存在がありがたい。
目が見えて足も歩けるから、
簡単にトイレに行けてありがたい。
トイレにドアがあるのもありがたいし、
電気がつくこともありがたいし、
手が使えることもありがたい。
便器に蓋がついていることもありがたい。
体の排泄機能や排泄器官もありがたい。
紙があることもありがたいし、
水が流れることもありがたい。
トイレから出てきて電気を消すとき、
電気が消えるからありがたい。
電気が消えなければ、
電気代が高くなりますから(笑)
もっと言えば、水を流すレバーや、
下水管などに対する感謝、
それを製造した人や施工した人など、
感謝の対象はいくらでも拡大できます。
トイレに行くだけでも、
これだけの感謝が出来るのだから、
普通に生活していれば感謝の連続で、
感謝が途切れることがありません。
「そんな幸せでは満足できない!
私が求めてる幸せはそんなんぢゃない」
と思う人もいるでしょうけど、
当たり前のことに感謝できない人に幸せは訪れず、
何事も基本が大切ではないかと思います。
一定期間でもいいので、
そのように感謝狂いのキチガイのように、
感謝の訓練を積み重ねていくと、
生活の中に自然に感謝が増えていきます。
ひたすら「ありがとう」を唱えるよりも、
このように対象を定めて想った方が良いです。
毎日、朝から晩まで「ありがとう」を唱え続け、
頭が痛くなったという人がいましたが、
話を聞くと頭の中で唱えていたそうなので、
唱えるなら胸の中で唱えることをお勧めします。
まだ続きがあるのですが、
少し話が変わるので次回に譲ります。
■次回以降の完成している記事の予告
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