組織の運営にあたる人間の問題 | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

     (『人間革命』第11巻より編集)

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        〈大阪〉 16

 

 組織は、あくまでも、善の価値を目的としなくてはならない。

 

 しかし、運営にあたる人間によって極悪な目的のために利用されてしまう場合がある。

 

 ゆえに、組織を構成する一人ひとりが賢者となり、明確な目標をもって、その進むべき方向を、常に論じ合うとともに、検証していく努力を忘れてはならない

 

 ・・・ 。

 

 大村たちは、四月二十二日昼には、全員が宿を引き払い、夕刻から、大阪市内の六ケ所の住宅街をそれぞれ回り、各戸に名刺付きの百円札をまいた。

 

 そして、投票日の二十三日当日、打ち合わせ通り、熱海に全員がそろった時、彼らは成功を喜んで、なんと祝杯を上げたのである

 

 誰が考えても非常識な、この拙劣極まる違法行為を、彼らに実行させたものは、いったい何であったのか、理解に苦しむところであった。

 

 ・・・。

 

 ・・・ それが悪質な犯罪行為であることに、誰も気づかぬはずはない。いや、多くの者はそれに気づいていたはずである。

 

 しかし、それを踏み越える異様な情熱が、彼らを支配していた。

 

 ・・・ 不当な手段までもが、暗黙のうちに、彼らのなかで正当化されてしまったともいえよう。

 

 実は、そこに見えざる魔というものの働きがある。

 

 崇高な目的は、崇高な手段によらなければ、真の達成はあり得ない。

 

 目的は、おのずから手段を決定づけるのである。

 

 民衆が幸福を享受できる、真実の民主政治を築くために、同志を政界に送ろうというのであれば、その運動もまた、民主主義の鉄則を、一歩たりとも踏み外してはならないことは明白である