入獄と出獄に師弟あり | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

     {『人間革命』第11巻より編集)

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         〈大阪〉 1

 

 昭和三十二年七月三日、午前七時三十分ー 。

 

 山本伸一は、千歳空港を後にした。大阪警察本部に出頭するためである。

 

 この日は、戸田城聖が、あの戦時中の法難による二年間の獄中生活を終えて、出獄した記念の日である

 

 そのことに気づくと、伸一の胸は燃え盛った。

 

 彼は、座席に身を沈め、窓に目をやったが、外は雲に包まれ、何も見えなかった。

 

 飛行機は、轟音を響かせながら、雲の中を上昇していった。

 

 学会は、間断なく飛翔を続けている。山本伸一は、その飛行機の副操縦士ともいえる存在になりつつあった。

 

 当然のことながら、飛行中は気流の変化もあれば、暗雲に包まれることもある。

 

 しかし、常に、常に、広宣流布という目的地をめざしながら、懸命に、油断なく操縦桿を操っていかなくてはならない。

 

 今、彼の人生の前にも、乱気流が横たわっていたといえよう。

 

 当時のプロペラ機での飛行は、羽田到着まで約三時間を要した。羽田で大阪行きに乗り換えである。

 

 羽田に到着した伸一は、機外に出た途端、蒸し暑さに、どっと襲われた。

 

 ここ数日を北海道で過ごし、機内の冷房につつまれていた体には、東京の蒸し暑さは、瞬間、耐えがたいものがあった。

 

 ロビーに出ると、数人の青年部幹部が出迎えていた。彼らの心配そうな顔があった。

 

 「室長!」と言って駆け寄りはしたものの、誰もが、次の言葉を探しあぐねていた。

 

 戸田城聖は、控室で伸一の来るのを、伸一の妻の峯子や、弁護士の小沢清と共に待っていた。

 

 戸田は、分身ともいうべき最愛の弟子を、今、羽田に迎え、そして、直ちに大阪府警に送らねばならないことに、深い苦渋に満ちた感慨をもてあましていた