(『人間革命』第11巻より編集)
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〈夕張〉 6
一方、七月一日の札幌と、二日の夕張での、炭労への抗議集会に参加するため、東京などの青年部の有志が、二十九日から三十日にかけて、陸続と津軽海峡を渡っていた。
これらの青年たちは、炭労の圧力粉砕を願い、自ら旅費を工面し、夕張の同志を激励し、応援しようと立ち上がったのである。
戸田城聖は、この慌ただしい事態の推移を見守りながら、泰然自若としていたが、小西や伸一に対する大阪府警の仕打ちに対しては、心から憤っていた。
彼は、年来の親友の弁護士・小沢清に、大阪へ、急遽、赴くことを依頼した。
戸田は、いやな予感を覚えていた。
彼の体は、春以来、日に日に衰弱していて、その度合いは意外に深かった。夜寝ても、目はすぐ覚めた。
そして、その後、明け方まで眠れないのである。
小西と伸一のことが、瞬時も頭から離れなかった。今後の事態が、しきりに思いやられた。
広宣流布の歴史を、学会が織りなす一つの織物とするならば、昭和三十二年という時間の経糸に、この六月から七月にかけての一週間に起こったさまざまな出来事の緯糸は、思いがけぬ鮮烈な色合いとなった。
小説『人間革命』の発刊の喜びの糸、学生部結成大会の祝賀の糸、大阪府警からからんできた黒い粗い糸、札幌と夕張の燃えるような大会の糸、
そして、大阪へ向かう山本伸一の憂慮の糸・・・ さまざまな色彩の糸が交じり合い、一日一日と杼(ひ:裁縫道具の一つ)を滑らせながら、この”時の糸”は、しっかりと織り上げられていった。
七月一日夕刻六時から、札幌市の中島スポーツセンターで、創価学会札幌大会が開催された。
急な開催であったが、約一万三千人の会員が一堂に集うことができた。