(『人間革命』第11巻より編集)
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〈波瀾〉 10
創価学会は、よい意味でも、悪い意味でも、社会の注目を集めるようになったが、このころからは、単なる世間の評判や噂で終わるわけにはいかなくなっていた。
選挙をやれば、政敵ができ、錯雑した社会的問題が、学会にかかわってくる。
宗教の世界だけにとどまっている間は、波瀾があっても、他宗との軋轢ぐらいですんだが、創価学会の急速な躍進によって、いやでも社会的な重みを増してきていたのである。
このころ、社会的に大きな影響をもっていた炭労が、創価学会を敵視して初めて、その対抗策を組合の大会に上程したのである。
・・・。
労働組合の活動の基本は、労働者の生活権の確立であり、まず経済闘争にある。
そこに政治的な活動も加わることがあるにせよ、宗教活動の規制にまでエスカレートすることは、労働組合本来の活動からの逸脱といえよう。
これは、誰が考えても、すぐにわかることであったが、創価学会への憎悪からか、夕張の炭労は、冷静さを全く欠いていた。
当時、石炭産業は、経済復興の波に乗り、社会的に大きな影響力をもっていたが、炭労は、その華々しい石炭産業を左右する、絶大な力をもっていた。
戦後の労働団体のなかでも、炭労は肩で風を切るかのような勢いがあり、泣く子も黙る花形団体といわれていた。
その炭労の巨大な圧力が、創価学会にのしかかってきたのである。
しかし、戸田城聖は、あくまで冷静であった。
このころ、炭労の問題で、彼に質問するジャーナリストたちに、労働組合と宗教団体が対立するというのは、そもそもおかしなことだと、彼は言明していった。