(『人間革命』第11巻より編集)
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〈波瀾〉 9
(つづき)
そう言うと、ガッカリしちゃって、『わぁ! 五年か、長いなぁ』なんて言う。
あるおばあさんが、『私は、あと何年、信心したらよいでしょう』と聞くから、『七年ぐらいやりなさい』と言うと、『そんなに待てません』と言う。
今、聞いて、これから五年かなんてガッカリしないで、幸福の種は植わったんだから、これから三年、五年と、私が札幌に来るごとに、『先生、こんなに幸せになりました』と言ってきてほしい。
私は、心から真面目に折伏して、真面目に信心したら、五年もかからないと思う。
三年も、五年も信心信心して、『先生、まだ病気が治らない』と言ってくる人がいる。
そんな人は、ちゃんと信心していない人だ。御本尊様をしっかり拝んで信心していれば、三年、五年とたてば、誰でも幸せにならないわけがない。
今日は、このことを教えて、私の講演を終わりたいと思います」
五月の札幌は、一年中で最もさわやかな季節である。
北海道の同志も、吹雪の厳冬をいつか越え、それぞれ、蘇生の春の空気を胸いっぱいに吸って、さっそうたる逞しさで、前進の態勢をつくりつつあった。
この直後、風雲はらんだ嵐が吹きつけてきたのであったが、それによく耐えるだけの力をも、既に備えていたのである。
五月十七日夕刻、羽田空港で、一人の青年が、大勢の人びとに囲まれていた。青年部の留学生第一号として渡米することになった青年であった。
それから四カ月ほど遅れて、九月上旬、一人の学生部員が、留学生第二号として、ビルマ(ミャンマー)のラングーン大学(後のヤンゴン大学)へ旅立っていった。
この年、六月三十日の学生部結成大会を前後して、東と西へ、二人の留学生が巣立っていったことになる。