(『人間革命』第11巻より編集)
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〈波瀾〉 1
昭和三十二年は、戸田城聖の三首の年頭の和歌で明けた。
それは、元旦の勤行会で発表になったものである。
荒海の 鯱(しゃち)にも似たる 若人の
広布の集い 頼もしくぞある
御仏(みほとけ)の 御命(みめい)のままに 折伏の
旅路もうれし 幸の広野は
驀進(ばくしん)の 広布の旅に 五年(いつとせ)の
春を迎えて 獅子吼勇まし
第一首は、青年部に与えたものであった。一週間前に行われた青年部総会の雰囲気から、戸田が感得した所感を詠ったものである。
あの愛すべき男子部員の、はつらつたる姿を目にするほど、彼を喜ばせ、安心させるものはなかった。
手塩にかけて育ててきた青年たちが、いよいよ頼もしく・・。しかも、その頼もしさは、荒海に跳ねる鯱のごとき強靭さである。
”山本伸一を見るがよい。昨年の大阪闘争で示した彼の力量を!伸一がいる限り、青年部の育成は、もはや心配ないところまできた”と、戸田は思った。
やがて、これらの青年たちが、鯱の大軍となって、末法濁世の荒海で、広宣流布に挺身する時の壮大な光景が、彼の脳裏に、まざまざと描かれていたにちがいない。
和歌は、素直な表現であったが、元旦の勤行会で詠みあげられた時、戸田は、万感の思いを込めたように、異様に緊迫した表情をしていた。
第二首、第三首は、一般の会員の日常活動を祝福しての和歌であった。創価学会の活動が、急速に展開し始めてから、わずか五年にすぎないが、
地涌の誇りともいうべきものが、どうやら、彼らの身についてきたことを、戸田は知った。
彼らは、さまざまな課題をかかえ・・・。
しかし、誇らかな顔は輝き、目は時に、まぶしいほどの光・・。
それは、彼らが、まさしく菩薩行の最中にあって、日に日に浄化されつつあることの何よりの証拠であった。