当時の創価学会発展の速度 | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

     (『人間革命』第11巻より編集)

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          〈転機〉 24

 

 十一月十一日には、教学部任用の筆記試験が、全国三十一都市で一斉に行われた。

 

 三千五百ニ十九人が受験し、・・・ 。

 

 十一月二十五日、引き続いて口頭試問があり、千四百五十六人が合格となった。

 

 教学部は、一躍、三千人の陣容となったのである。

 

 十一年前、戸田城聖が、焦土と化した東京の焼け野原に一人立った時、彼が、恩師・牧口の獄死に痛哭しつつ、広宣流布の使命に自らの情熱をひそかに燃やした時、いったい誰が、

 

 今日の創価学会を想像し得たであろうか。

 

 わずか三千人余の会員の推戴の署名で会長に就任してからも、まだ五年しか経過していない

 

 今日、牧口が存命であったら、どんなに喜ばれたかと思うと、戸田は、今さらのように、牧口の死に胸が痛むのであった。

 

 十一月三十日には、十一月度の本部幹部会に臨んだ。

 

 戸田は、首脳幹部の懸命な話の後で、極めて平静に話しだした

 

 「いろいろと、幹部の方々からは注文が出されて、耳が痛くなったと思います。ただ、私の方は、今日は、お礼を申し上げたいのであります。

 

 ・・・ また、折伏成果について、今、理事長の話がありましたが、組単位の座談会、組長の協力、また組座談会の活用について、いろいろご苦心くださった結果が、今度の二万ニ千二世帯となっているのであります

 

 私は不足には思いません。まことにありがたいと思っております。だが、今年、五十万世帯ということを、お互いに考えておりながら、今、四十五万世帯であります。

 

 願わくは、皆さんに、組長諸君と、ひざを突き合わせてお話願い、あと五万世帯達成に、ひとつご努力願いたいと思うのであります