(『人間革命』第11巻より編集)
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〈転機〉 23
(つづき)
その幼稚園児の頭をもって、最高の仏教哲学をもつ、日蓮大聖人の仏法を批判しようとしても、彼らには、わからないのであります。
だが、わからんといっても、わからんままにしておくわけにはいかない。
どこまでも、分かるまで納得させようと努力しますが、もし、ここに宗教審議会とでも、仮に名前を付けたものができて、宗教に善悪正邪のあることを、日本民族が調べるという機運が起こる日が、あってほしいと思います。
この方法は、以前にも何度も述べましたが、科学的であればいいんです。
あたかも、農業学校で米の品質を調べたり、研究したりするように、ある百軒の人が創価学会の信心をする。
また、百軒が、同じく別の宗教を信仰する。またさらに、百軒が別の信心をする。既にしている人でもよい。
こうして百軒ずつを選んで、それを一年間したら、それぞれの宗教で、生活がどう変わったかという記録を取ればよいのです。
これを、今年百軒、来年百軒、再来年百軒と、二十年も研究するならば、記録のうえにははっきりと証拠が現れる。
その時こそ、わが創価学会の会員が、どれほど幸せになっているか、他宗教との比較相対のうえから、統計的に、はっきり現れでしょう」
彼の提案は、現存する宗教という宗教への挑戦であったが、そのような時勢が、直ちに到来するものとは思えなかった。
しかし、創価学会会長・戸田城聖の確信のほどは、会場を埋めた聴衆を、限りなく鼓舞するものとなった。