一地域の大飛躍がもたらす波及効果(山口開拓指導) | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

     (『人間革命』第11巻より編集)

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          〈転機〉 20

 

 山本伸一は、この夜、夜行列車で萩を発った。

 

 彼の、十一月の山口闘争は一週間で終わったが、十月に続く再度の指導で、各地とも、そろって動き出していた。

 

 山口県の世帯数も、九月末の四百五十九世帯から、十二月末には三千二百十四世帯と飛躍していた。

 

 一挙に七倍増である。

 

 山口指導は、十二月の年の瀬は中断し、翌昭和三十二年一月に再開された。

 

 一月に現地に派遣員が行ってみると、十月、十一月に入会した人たちが、それぞれ、さまざまな初信の功徳を受け、歓喜のなかで口々に体験を語っていた

 

 指導は、急速に実っていたのである。弘教の戦線は、一緒に広がって、全県下にわたった。

 

 折伏成果も、一月は千世帯近くになった。

 

 伸一は、一月二十一日、山口県東端の岩国市にやってきて、・・・、瀬戸内を西へと移動しながら、総仕上げの指導をして、組織をつくっていった

 

 そして、山口県は、もはや広宣流布の流れの中で孤立した県ではなく、妙法の新天地として、それ自身の力で発展していくことを見極めて、山口闘争の幕は下りた

 

 十月、十一月、一月と、三か月にわたる周到な戦いは、延べ日数にすると、わずか三十日を出なかったであろう

 

 しかし、一月末には四千七十三世帯へと、戸田と伸一が山口闘争を決定した時点から、実に約十倍の飛躍を遂げたのである

 

 「山口開拓指導」による山口県の大飛躍が、全国の会員に波及しないはずはなかった。

 

 広宣流布の立ち遅れた地域も、真剣にクワを深く入れれば、肥沃の大地とすることができるー 

 

 山本伸一のもとで戦った各支部の派遣員たちは、身をもってこのことを学んだ。