(『人間革命』第11巻より編集)
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〈転機〉 19
伸一は、萩に着いた夜、さっそく座談会に出てみると、約六十人の参加者である。未入会の人も多かった。
伸一は、自らの体験をつぶさに語ってから言った。
「私は、元来、子どものころから病弱で、痩せて顔色も悪かった。そんな体で、東京の街を、大八車を引きながら、働かなければならないこともありました。
しかし、入信して指導通りやってきたおかげで、今では、この通り元気いっぱいです。
そして、どうしようもない宿命を嘆いていた一人の青年が、こうして、人のために汗を流せるような境涯になったんです。
真実の宗教というものを、皆さんは御存じない。この確かなるものを、私は、皆さんにお教えしたいだけです」
伸一は、未入会の参加者の一人ひとりに、礼儀正しく呼びかけた。
その十数人のほとんどが入会を希望した。
この夜の座談会から、萩での活動は燃え広がった。
萩市は、もともと毛利三十六万石の城下町である。幕末から明治維新にかけて活躍した長州藩の志士が育ったのも、この地であった。
伸一は、会合の合間に、萩城址から各所の史跡を巡り歩いた。
彼の多感な胸に去来するものはー
吉田松陰ならびにその門下の政治革命と、今、彼が実践しつつある、戸田城聖並びにその門下の宗教革命の対比であった。
彼は、旅館で皆に語った。
「この萩の地から、吉田松陰と、その門下生が中軸となって、維新回天の夜明けを開いた。
これは、吉田松陰が偉大であったのではない。弟子もまた、偉かったから、吉田松陰の名が世に出たんです。
戸田先生が、どんなに偉大でも、弟子のわれわれがしっかりしなければ、なんにもならない。
この萩の地から、今度は、妙法の人材を陸続と輩出しなければなりません」