(『人間革命』第11巻より編集)
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〈転機〉 15
この手紙を読み終わった増田は、滂沱と流れ落ちる涙を、どうしようもなかった。
”何という慈愛! 文句を言って、迷惑ばかりかけた私のような者に、なんという慈愛だろう。
私は間違っていた! 生涯、先生のもとで、広宣流布のために、なすべきことをして死んでいこう”
増田一三は、ほんの一例に過ぎない。山口闘争で山本伸一を知り、彼と共に戦った山口の会員や、各支部からの派遣員たちの中には、幾人もの増田一三がいたのである。
彼らは、伸一の深い透徹した慈愛に育まれて、後日、それぞれ広宣流布の逸材に大成していった。
真心の指導ほど、人材育成の力となるものはない。
山本伸一は、岩国市にも足を運んだ。岩国には、米軍基地などがあった。ここには、七支部に所属する学会員が、市街から郊外にかけて散在していた。
彼は、駅前の旅館に陣取った派遣員の一人ひとりと面談し、このような長期滞在が、家庭や生活面で無理がないかどうかまで配慮し、
ともかく、山口県に魂魄をとどめる覚悟で活動してほしいと激励した。
派遣員のなかには、主婦も多かった。彼女たちは、夫の理解を得てはいるとはいえ、一週間も十日も家を空けることは、並大抵のことではない。
伸一は、さっそく彼女たちの夫宛てに手紙を書き、彼女たちが、元気で活動している旨を知らせながら、留守宅の夫までも激励するのであった。
彼は、派遣員たちが、思う存分、活躍できるためには、誰よりも細かく気を配る主将であった。
伸一は、時に柳井市に姿を現したかと思うと、徳山市にも現れた。