(『人間革命』第10巻より編集)
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〈険路〉 21
山本伸一は、なお大阪に踏みとどまって、権力の動きに対峙し、熾烈なまでに八面六臂(はちめんろっぴ;一人で数人分の手腕を発揮する)の戦いに入っていた。
朝の勤行、御書講義を終えると、時間のある限り、各拠点を回り激励を続けた。
午後から夜にかけて回った座談会場は、日に十か所を超えたこともあった。
ある会員は、伸一を車に乗せて、大阪一円から郊外へと走りに走った。その走行距離は、一日に二百五十キロから三百キロに達した。
伸一は、その移動の車中でも、懸命に唱題を続けていたのである。
彼は、神出鬼没であった。ある地区部長の家を、突然、訪問し、地区部長が留守であると聞くと、家人に一本の扇子を預け、「地区部長によろしくお伝えください」と言って立ち去った。
夜、地区部長が戻って扇子を広げてみると、「獅子奮迅」と認めてあった。
地区部長は、翌日から、人が変わったように獅子奮迅の地区部長となった。
その直後のことである。この地区部長が、地区座談会で、なんと一挙に三十三人の入会者を出したのである。
伸一は、座談会の会場を一会場でも多く回ろうと願い、短時間に次々と会場を訪れた。
彼が姿を現すと、会員は、思いがけぬ伸一の来訪を、拍手と歓声で迎えた。
その熱気は、参加していた友人をも、包み込んでいった。
座談会には、あふれる信心の喜びがあった。歓喜のなかで語られる、さまざまな功徳の体験に、入会希望者が相次いだのである。