(『人間革命』第10巻より編集)
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〈跳躍〉 1
旭日の勢いというものは、誰人も、遮ることはできない。
草創の息吹には、潮のごとく力強い勢力がある。その流れを、永久に続けゆくための唯一の原動力は、信心しかない。
昭和三十一年四月八日の大阪地方は、前夜から雨がやまなかった。
関西の創価学会員にとって、この日は、待ちに待った大阪・堺二支部連合総会の当日である。
しかも、難波の大阪球場を会場とする野外集会である。
前年秋、創価学会の秋季総会が、初めて野外集会として、東京・後楽園球場で開催された。
これを見た、衝天の意気に燃える関西の会員は、万難を排しても、自分たちは大阪球場で総会を決行しようと決意していた。
それが、春雨ならぬ土砂降りの雨である。
関西の幹部は、組長、組担当員にいたるまで、この祝福すべき大総会まで、果たすべき責任を完璧に果たそうと大奮闘していた。
そして晴れ晴れと、会長・戸田城聖を迎えようと、弘教拡大の激しい活動を展開していた。
それというのも、四月一日の夜の組長指導会で、山本伸一から、新しい活動方針が発表されていたからである。
それまで、班長を中心とする班座談会を主体として活動してきたが、四月からは、それに加えて、組長の発意による組座談会の開催を、積極的に進めてよいという方針がうちだされたのである。
心ある組長は勇躍歓喜して、さっそく、この翌日から実行に移した人も少なくなかった。
総会までは数日しかなかったが、この記念すべき大総会に、新しい入会者を一人でも多く連れて参加しようと、誰言うとなく、意気込んでの活動が、にわかに始まっていた。
班から組へと、一段広がった座談会の開催は、まだ入会して日の浅い組長の実力を考えると、直ちに期待すべき活動の成果が出るとは思われなかった。
ところが、彼らの歓喜の実践は、予想をはるかに超えたのである。