戸田城聖一人の推進力 | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

     (『人間革命』第8巻より編集)

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       〈推進〉 11

 

 彼は、このようにして、幾たびか戸田の部屋に通うようになった。

 

 ノートには、いつもさまざまな質問項目が、次から次へと書き連ねられていった。膝に広げたノートに目を落として、一つ一つ質問する彼のスタイルは変わらなかった。

 

 組長から、班長を経ずして地区部長になり、苦しんだ彼は、急速に経験不足を埋めていった

 

 数か月過ぎた時、彼は、はや戸田直伝の力ある地区部長になっていた。同時に、彼の地区が、全国の地区のなかで頭角を現し始めたことは言うまでもない。

 

 数年たたないうちに、全国に先駆けて、彼を中心者とした支部が結成されるまでになったのである。

 

 戸田は、昭和二十九年末には、確実に十五万世帯を超えるであろう創価学会を予見していた。

 

 そして、もはや彼一人の力で、これまで以上のテンポで広宣流布を推進していくことは、不可能であることを悟っていた。

 

 ”現在、二万世帯に近づいている蒲田支部は、昭和二十七年当時の学会の全世帯数に匹敵している。

 

 すべての支部は、今、数年前の学会の本部の機能を果たさなければならない状態になってしまった

 

 今は、いい。しかし、今のままでは推進力は薄められて、最前線まで届かなくなるであろう。

 

 学会の機能は、麻痺状態を招く恐れが十分にある

 

 戸田は、会長室で、連日、幹部を指導しながら、人知れず苦慮しなければならなかった

 

 といっても彼は、一日中、会長室にいたわけではない。午前中には、彼を顧問と仰いでいる大東商工に顔を出さねばならなかった。

 

 営業は軌道に乗っているものの、まだ彼の采配を必要としていたし、だいいち彼の生活は、それによって賄われていた