(『人間革命』第8巻より編集)
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〈推進〉 12
また、一週間のうち三日間の夜は、教学にあてられていた。月曜日には、・・・。木曜日には、・・・。
翌日の金曜日には、同じ会場で、一般講義と呼ばれた御書の消息文などの講義があった。
このように、月々日々に会員の教学力を急速に向上させることに、戸田は、懸命であった。
彼は、これらの講義を、いかにも楽しそうにしていたが、その後の疲労は時に耐えがたいものがあった。
このほか、教学部の任用試験や昇格試験の、最後の面接も行わなければならず、各支部の総会も欠席するわけにはいかなかった。
そして、それらの多忙な行事の合間には、大阪や仙台などへの地方指導がはさまり、戸田は、彼一人の推進力の限界を、ふと思わないわけにはいかなかった。
世帯数の激増にともなう組織の急速な拡大、それを少しも停滞させることなく推進していくために、彼の緊張度は日に日に高まり、重苦しいまでになったいた。
二月八日の夜、学会本部の大広間で講義があった。その夜、会長室に戻った彼は、ふらふらと崩れるように倒れた。
薄れゆく意識のなかで、彼は、しきりに口を動かしていた。
「伸はいないか。伸はどこへ行った?」
つぶやく言葉は無意識とも思えたが、このような時、彼は、山本伸一の名だけを呼んだのである。
発作は一時間あまり続き、冷や汗をぐっしょりかいて回復したものの、彼の当時の辛労の深さと、健康の衰えとを物語るものであった。