(『新・人間革命』第7巻より編集)
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〈原点〉 1
戸田城聖の全生涯を、つぶさに展望する時、彼の原点ともいうべきものを、いったい、どこに求めたらよいかとなると、にわかに判定は下しがたい。
彼は、教育者ではあったが、いわゆる世間並みな教育者ではなかった。
事業家でもあったが、単なる事業家ではなかった。宗教家でもあったが、通例の宗教家からは遠いところにいた。
また、民衆指導者でもあったが、それは、破格な民衆指導者であった。
彼の存在は、これらの世間並みな範疇(はんちゅう)を破ったところに、その独創性を深く持していたのである。
こうした独創性が、どこから生まれたかとなると、人は天与の才能や、性格に帰したがる。
しかし、その天賦の資質を思う存分に発揮させたものは、いったい何であったのかに思いをいたす時、
戸田城聖という一個の人間における原点に近づくことができるように、私には思える。
独創性とは、人まねを許さぬところのものである。そして、未聞のあるものを生むところの力である。
特徴などという安易な解釈が、色を失うところにあるのだ。
特徴ある人間は、なるほど無数にいるが、真に独創的な人間は、まことにまれである。
また、その独創的な人間が、一事を成し遂げるかどうかとなると、さらにまれであるといってよい。
戸田城聖は、人まねの及ばない完璧な独創性を持っていた。この独創性が、いつ、どこで、力となって確立されたか、
それを果てまで追求していくと、どうしても、あの獄中の、崇高にして峻厳な一瞬を見逃すことはできない。