(『人間革命』第3巻より編集)
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〈前三後一〉 10
当時の男子青年部の各部隊は、それぞれ特色を持っていた。
「青年訓」の強烈な鏡は、それぞれの部隊の長所、短所を、くまなく映し出した。
果たして第二部隊は、十月二十五日付けで部隊長が変わり、十条潔(池田会長のあとに4代目の会長のなった方、なぜか短命で終わる)が新たな部隊長の任命を受けた。
周囲の先輩たちは、十条の前任者についてこう語る。
「彼は、やる時は猛然とやるが、気まぐれで、わがままであった。また、真の知性にかけていた。彼は、自己との戦いに勝てなかった。
そして、異性関係が、彼の信心を全く狂わせてしまった」
十条潔は、第四部隊所属の一班長であった。その彼が、第二部隊の隊長になったことは、奇異の感をいだかせた。
それに、十条自身が、青年部では、まだあまり知られていなかった。それもそのはずで、創価学会に入会したのは、わずか四か月前のことだったのである。
思いもかけぬ抜擢であり、人材の登用であった。
彼の家は、もともと日蓮正宗(この当時は、創価学会も日蓮正宗の中の一団体であった。日蓮正宗創価学会の名称であった)の檀家であった。
彼は、海軍兵学校へ進み、戦時中に卒業して、戦争末期には、若き愛国の海軍士官であった。
軍人として、生死の問題に直面したころ、彼は、初めて心から真剣な題目を唱えるようになった。
ところが、終戦と同時に、彼の人生は、ぷっつりと断絶したのである。
人生行路は、百八十度、転換しなければならなかった。
家は、戦災に遭っていた。彼は、あるセメント会社に職を得て神戸に住んだ。その後、焦土化した東京の工場に移り、日々の生活のため奮闘しなければならなかった。