「青年訓」を読み、熱い血潮をたぎらせた青年が、 | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

   (『人間革命』第5巻より編集)

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  〈前三後一〉 9

 

 この戸田の、四百字詰めで約四枚半の原稿は、直ちにガリ版刷りにされ、男女青年部員の手に渡った。

 

 たちまち一陣の風が、青年部のなかに起き、衝撃的な感動を呼んでいった。

 

 ある人は感激し、ある人は、わが身の使命に深く思いをいたし、僚友と夜を徹して語り合った。

 

 また、ある人は、朗読し、ひそかに生涯の誓いを立てた。

 

 この文章ほど、戸田城聖の精神が脈打っているものはない。

 

 今日から見れば、やや大時代な言語表現のきらいはあるが、それは、彼の人間形成に時期が明治・大正の代であり、その名残をいささか留めているがためである。

 

 そこに秘められた、崇高にして純粋な彼の精神そのものは、誰人も及ぶものではなかろう。

 

 ともかく、彼は、誰よりも青年であった。青年をこよなく愛した彼は、終生、青年であった。

 

 その青年が訴えた一文ゆえに、多くの青年に、かくまでの感動を呼び起こしたのである。

 

 創価学会青年部の精神的基礎は、この時、強固に確立され、それは伝統的精神として、今日も、なお生きている

 

 青年部の、はつらつたる行動規範は、この一文に込められていた。

 

 「青年訓」を読み、熱い血潮をたぎらせた青年が、やがて学会の中枢の人材に育っていったのである。

 

 十月四日は、女子青年部会であった。六日は、男子青年部会であった。

 

 二つの部会とも、戸田から、新しい、曇りのない鏡を与えられ、自ら襟を正す思いで開催したのである。

 

 戦後六年にして、創価学会の青年たちは、狂いなき見事な羅針盤を得て、新たな勇気がふつふつと、身のうちにたぎるのを感じた。

 

 青年部の進路が明確にされた以上、後は、広宣流布に、一路邁進あるのみだったのである。