平成23年3月11日に発生した「東北関東大震災」に茨城県水戸市で被災した体験を記述します。
いまだ、被災した状況下で、残念なことに被災者数の公表値もどんどん上がっておりますが、とりあえず本日までの一週間の状況です。聖書によれば神は7日で世界を作った上に、休日(安息日)まであったそうですが、神ならぬ身では、そのような訳にもいきません。しかし、朝の来ない夜は無いように、どのような困難な状況も解決される日は必ず来ると信じております。以下の内容は被災記ですので、ネガティブな表現が多いですが、実際の感覚としては、不謹慎な言い方ではありますが、もうすこし呑気な感じです。とはいえ、宮城県などは、はるかに甚大な被害を被っており、言うまでもなく、我々以上に非常に切迫した状況にあります。一日も早い復旧をご祈念申し上げます。
〔被災初日 3月11日〕
地震発生時、工場で作業をしていましたが、鈍感なのですぐに地震とは気付きませんでした。
最初、少し離れたところの、浸漬槽から水があふれる音がしたので、「また、誰かオーバーフローやっちゃたのかしら?」と見てみると、瞬時にして浸漬槽から水がザッパンザッパン溢れてくる様子を見て一瞬とまどいましたが、すぐにはっきり体感できるほどの揺れが襲ってきたものの、その時点では何時もの地震の少し激しいもの程度の認識でした。
ところが地震が止むどころか、瞬く間に激しさを増してきて、危険を感じたため工場内の転倒物、落下物等の危険がない場所に避難しましたが、すでに、かつて経験したことがないほどの揺れに身体を制御できない状態に陥りました。ふと見ると、従業員の一人がよりによってホッパー(仕掛品を盛り込み機に充填するための機械で、可動式で重心が高いため、一番転倒する可能性が高い上に、重量もあるため危険)にしがみついて、地震の揺れで工場内を動き回るホッパーとともに工場内をグルグル振り回されている様子が目に入ったため「Sさん、そこから離れて!」と叫ぶものの、Sさんはパニックになっていてtenguの声も耳に入らない様子なので、止むを得ず揺れに振り回されながらSさんの所に行って、強引にホッパーから引き剥がすようにして安全な場所まで退避させるものの、四十路の身にはいささか無理目でSさんを引っ張った左腕を少し痛めてしまいました。
揺れはしばらく続いて、ようやくある程度おさまりましたが、工場内を確認してみると、生産設備に大きな損傷はないようでしたが、浸漬槽や消毒槽や蒸煮釜などの水量がほとんど4分の1か5分の1程度しか残っておらず、特に蒸煮釜は重量があり、固定されていますので、この内容物がほとんどこぼれ散るほどの地震は初めての経験でした。続いて包装作業場から事務所へ回りましたが、幸い怪我人はおらず、とりあえず安心しました。仔細に見れば建物内の多少の損傷はありましたが、操業に影響がでるほどのものではなく、一部包装作業場のガラスが破損して仕掛品の上に落下していましたので、最終製品と交差しないよう、現場廃棄を指示しましたが、その後も頻繁に余震があり、その度に従業員に安全な場所への退避を指示しましたが、一つ問題なのは多くの従業員が余震が発生するとうろたえてしまい、危険性のある場所であるにもかかわらず、その場で立ち止まってしまうか、場合によっては転倒等の危険のある身近な設備等にしがみついてしまう傾向にあることでした。幸い従業員配置箇所における重量の大きな落下物、転倒物はありませんでしたが、普段からの災害教育の必要性を感じる出来事でした。また、営業員へ連絡し、状況を報告してもらい、余震等に気をつけて安全に帰社する旨連絡しました。
その後余震に気をつけながら、仕掛品の処理など必要最低限度の作業を行い、従業員には家族の安否確認および帰宅を指示し、途中、社長が帰社したため、工場内外の確認を行い、被害状況をチェック、工場裏外壁のモルタル部分に剥落の危険性がある個所を発見したため、隣家に注意されるようお願いし、工務店に連絡、なるべく早い補修を依頼しました。また、ガラス窓の破損部分など、応急処置の可能なところをビニール等でカバーしました。そのほか、工場内ではボイラーの燃料タンクの脚部が折れ、タンクが傾いておりましたが、タンクおよびボイラーへの燃料供給部における燃料漏れ等の被害はなく、稼働可能と推測されました。その後、営業員が帰社したため、あらためて状況を聞き取り、それぞれ帰宅し明日以降、出社可能になり次第、出社するよう依頼して、工場を閉鎖、社外にある現在使用していない倉庫を確認したところ、基礎の一部に損傷が発生しているのを確認し、倉庫2階に居住している従業員には、会社の休息室に泊まることを勧めましたが、子供のところに行くとのことでした。その後、工場屋上へ昇って周囲の状況を確認、屋根瓦等の被害は随所に確認できるものの、建物自体の崩壊は1棟のみで、それもすでに人の住んでいない老朽家屋でした。また、2棟ほど外壁が大きく剥落している建物が確認できました。この時点では電気は止まってしまいましたが、水道は通水しており、水道は大丈夫と思ってしまいましたが、これは後に最大の判断ミスとなってしまいました。この時点では携帯電話が使用可能でしたので、この地震について調べたところ、宮城県沖を震源地とする地震とのことで、茨城が震源地であろうと考えていたので、驚きました。夕方に至っても電気が復旧しなかったので、発酵室での仕掛品の製品化は不可能と判断し、廃棄を決定し、また、翌日も操業不可能と判断し、浸漬中の大豆も廃棄を決定して、工場内の衛生対策として排水のうえ、乾燥処理を行いました。
自宅の方の被害は屋内で食器箪笥が1棹転倒し、食器類が破損したのが最も大きく、その他花瓶等の破損が何点があった程度であり、それ以外では玄関の鍵の一つが若干引っかかる感じがする程度で、書籍等の散乱はあったものの、その他の大きな物的損害はありませんでした。屋外では崩壊というほどの重篤な被害ではないものの塀の一部に損傷があり、また、庭の石灯籠が2基とも転倒していました。うち1基の春日灯篭は重心が高いため転倒はやむを得なかったでしょうが、もう1基の雪見灯篭のような重心の低いものまで転倒していたのを見て、今回の震災の大きさを今更ながら実感したものです。また、雪見灯篭は笠が大きい所為か、火袋がバラバラに破壊されていました。ただし、それ以外の庭石や植木等には特に被害はありませんでした。
近辺の小売店は大型店舗はすでにシャッターを下ろしており、個人商店のみが営業しておりました。家内が飲料やインスタントラーメン、パンなどを購入しており、こういう場合は、大型店より小型店のほうが、フレキシブルに対応してくれるものだと思いました。日が暮れてきて、電気が復旧していなかったので、屋内の片づけを切り上げ、エアコンが効かないので、いざという時に脱出しやすい部屋に布団を敷き、暖を取るために早々に布団に入りました。特に災害時の準備がなく、懐中電灯1本のみで、電気が止まっただけのことで、明りがない、暖をとれない、情報が入手できないなど、単に電池式のランタン一つ、ストーブ一つ、電池式のラジオ一つあれば、何とかなったはずだったのですが、余りにも平素の準備が不足していたことを実感しました。また、夜には携帯も殆ど繋がらない状況でした。
〔被災2日目 3月12日〕
朝食は昨夜同様に卓上コンロで湯を沸かしてインスタントラーメンとパンで済ませましたが、問題は昨夜までは出ていた水が、今朝は出なくなっていたことでした。念のため水を汲んでおいたので良かったですが、さもなくばトイレがどうにもならなかったはずです。また、日中、中学校で給水があるとのことだったので、家内とポリタンクを3個抱えて向かったところ、給水車ではなく、役所の方がポリタンクで水を持ってきてくれていたので、一人当たりの割り当ては数リットル程度でした。また、近所のスーパーでは3・4時間並んでも購入できる量は制限があるなど、なかなか厳しい状況でした。ただし、M酒店という酒類、食品類の小売店を営んでいる家内の実家から大量のインスタント食品や飲料水ほか、食品類などが届けられたので、飲食に対する不安は解消されました。また、この日も携帯は殆ど繋がらない状況でした。
工場の方は、朝、出入りの設備屋さん達が状況確認に来てくれ、概ね電気系統、冷蔵設備に異常がないことが確認でき、電話が不通の状態であったため、三々五々従業員達が出社してくれましたが、工場の整理は後で良いので、各自自宅の方の復旧を優先して欲しいと言って退社してもらいました。また、それぞれの安否を確認したところ、従業員の家族の方も全員大丈夫だったとのことで、安心しました。その後、工場内の状況を詳細に確認し、補修等が可能なところは補修を行い、出社してくれた営業員には、電話連絡ができない状況なので、取引先等を確認してもらって退社を指示し、さらに工場を詳細にチェック、工場を閉鎖しようとしたところ、スーパー等が閉まっているので、小売してほしいとの問い合わせが多いため、閉鎖せず、このような状況なので原価が取れれば良いので、廉価で販売したところ数時間で完売状態になったため、午後4時頃終了、なお、昼はインスタントラーメンで済ませました。
夜は見川町の家内の実家の生活インフラが復旧したとのことなので、丸一日ぶりの風呂やまともな食事、そしてポリタンクへの給水を行い、被災後初めてテレビを見て、その被害の大きさに言葉を失うほどでした。不適切な表現かもしれませんが、まだ水戸はぜんぜんましな状況だとさえ思いました。その後帰宅すると既に電気は再開しており、水道も水圧が低いものの出るようになっていました。ただし、ガソリンスタンドの休業が目立ち、オープンしているガソリンスタンドには給油を求める渋滞が発生しておりました。また、市内を走行していると瓦屋根の破損と大谷石の塀の倒壊が目立ちました。特に大谷石の塀は倒壊していないものがないと言っていいほどでした。その他ではアスファルトの陥没や地割れなどが頻繁にあり、気付かずに衝撃を受けたりしましたが、自動車ならともかく、オートバイ、スクーターなどの2輪車は走行に気を付ける必要があるだろうと思いました。
〔被災3日目 3月13日〕
すでに生活インフラが復旧したので、朝食は普通に摂り出社、出勤してくれた従業員には震災時の仕掛品を製品化してもらい、従業員の状況もあるので、昼前に退社を指示し、まだ、電話は不通であったため、出社した営業員には取引先の様子を確認してもらい、早めに退社を指示しました。ただし、午前中に電話が繋がるようになったため、その後は電話にて各方面への連絡を行いました。先日に引き続き本日も商品の廉価販売を行いましたが、いまだ、物流が復活していなかったので、お客様が殺到し、午後2時頃には完売状況で、午後3時頃に閉店しました。従業員は帰宅してもらった上での、多数の来店者に対応するため、昼は今日もインスタントラーメンと菓子類程度のものをそそくさと掻き込む状況でした。その後、工場稼働に備えて生産設備の稼働チェック等を行いました。
夜、すでに我が家もほぼ通常の生活を行える環境にはありましたが、家内の実家から招待されたため、夕食をご馳走になりに行きました。この頃には地縁・血縁関係の広いところには生鮮食品も含めた生活必需品は十分にある状況になりましたが、一方において小売店での行列が見られるなど、物不足に加えて燃料不足による域内の流通の停滞が、より問題を悪化させているであろうと思いました。現に家内の実家ではこの時点でも問屋から商品を十分に仕入れられており、ただ、燃料不足で配送されないので、取りに行けば物は豊富にある状況でした。地域により差はあるものの、感覚的にはこの日から、ほぼ普通の生活が回復した感じでした。
〔被災4日目 3月14日〕
昨夜の内に従業員には出社しなくてよい旨連絡を入れておきましたが、何人かが心配して顔を出してくれました。念のため、輪番で出社してもらった営業員に手伝ってもらい、状況確認にきてくれた工務店の方々と工場裏モルタルの亀裂部分をブルーシートで覆いました。この日も納豆の廉価販売を行いましたが、既にストックも少ない状況で、特に家庭向き商品が欠品状態でした。それでも来客が絶えず、今日の昼もせわしくインスタントやきそばと菓子類を掻き込むだけでした。これは今後も続きそうです。工場自体は稼働可能でしたが、電力不足夜による計画停電の情報もあり、生産ができない状況でした。夜はまた、家内の実家でご馳走になってしまいました。
〔被災5日目 3月15日〕
今日になって計画停電の内容が変わり、被災地域は停電対象外との報道があったため、儘よとばかり、生産を行いました。ただし、給水が不安定であり、かつ、ボイラーの燃料が、今のところ補給のめどが立たないため、今後は計画的に調整生産を行わなければならない、かなり綱渡り的状況ではあるけれど、当面、同じ被災者の方々にできるだけ商品の供給を行うために、可能な限り生産を続けなければならない状況です。また、この日、興醸社の幡谷さんより連絡があり、興醸社の食材を茶の間の秋澤さんが調理してくれたので、取りに来ないかとのお誘いをいただき、ありがたく、興醸社と茶の間のコラボによるご馳走を頂きました。ただし、幡谷さんの話によると食品問屋である興醸社にも入荷がなく、現在在庫を出荷している状況なので、このまま入荷がなければ、いずれ底を尽いてしまうとのことでした。
〔被災6日目 3月16日〕
今日は水戸市役所へ被災物資として商品提供にいきましたが、水戸市では前日で配布を中止したとのことで、問い合わせたところ、大洗町とひたちなか市で受け入れるとのことでしたので、各2,000食分づつ配送しました。特に大洗町役場は役場建物自体が地震に加えて津波の被害を受けており、役場の方も非常に疲労しているようでしたが、それでも被災者のために奮闘されている姿には頭の下がる思いでした。本日も店頭販売は早々に売り切れ状態でした。相変わらず余震が続き、また、風が強く、被害を受けた外壁を覆っていたブルーシートがかなり煽られる状況でしたので、再び結束したり、各破損部を再チェックしつつ、必要に応じて再度応急処置を行いました。相変わらず余震の続く状況ですので、外壁等の剥落によって人的被害が発生しないよう、注意喚起を含めて近隣の方に再度お願いをしました。その他、生活必需品等に関しては、ご近所さんや知り合いなどと連絡してお互いに融通しあう状況で、通信インフラの復旧が有効に機能した事例でした。また、この日いわき市の親戚が水戸に避難してきました。福島第一原発の問題で、親戚の周囲の方々もいわき市から続々避難しているとのことでした。しかし、この原発問題もなかなか困難な状況になってきており、これも非常に懸念されます。
〔被災7日目 3月17日〕
今日は水圧はかなり上がってきたものの、補修工事の影響か、水に微量ながら砂が混じることがあるので、製造の中止を検討しましたが、物資不足により、口コミで多くのお客様が来店され、中には地震で足を痛めた年配の方が、それでもスーパーに数時間も並べないとのことで、杖をつきながら遠距離を歩いて来店してくださったりしている状況なので、何とか製造する方法を検討した結果、いったん水を空いている浸漬槽に満たして、その上澄みを利用すれば可能であろうとの結論に達し、製造を行いましたが、人力によるしかないので、結構な重労働になりましたが、現今少なからぬ店舗がこのような状況のなか、少しでもということで店舗を開けようとしている状況で、多くの被災者が苦しんでいる状況で、大変であるなどという理由で製造を行わない訳にはいきませんが、結構腰に響く作業でした。また、屋上の変電設備にずれが生じており、通電状況に影響はないものの、雨天時に隙間から建物内に水が浸入し、場合によっては電気系統に影響が生じる可能性があることが判明し、ブルーシートを使用しての応急処置を行いました。また、この日ひでまるの市毛さんと連絡し、ひでまるでも可能な限り営業を続けるとのことで、夜、見川店に行き久々にインスタントではないラーメンを食べましたが、見川店の麺は北海道の旭川から仕入れているので、入荷がなく、本日で品切れになるため、明日からは千波店のみの営業になるとのことでした。その他、このような状況で不謹慎な話ではありますが、煙草が品薄になってきており、言い訳がましいようですが、無いとなると吸いたくなるのが人情で、各所に問い合わせてやっと3箱ばかり入手しました。