#45 流民 | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

 

先日、所用で娘と大阪で会った。

こじんまりした中華料理店で夕食を共にした。

大阪の路地の、ごみごみした飲食店街や黄色い提灯は久しぶりで、自然私は、この街でサラリーマンあるいは貿易ブローカーとして過ごした数十年の歳月を想った。回想は当然古きを遡る。

 

大学時代と最初に就職した会社は東京だった。転勤で名古屋に三年近く住んだ。その後東京に戻され、また数年。今となってはこれという理由が思い出せない曖昧な感情から、辞職・転職。京都に住んで大阪に通った。通勤の関係で更に大阪に住み、次いで奈良に転居した。

無論誰しもがそうであるように、この先どこへ行くかは分からない。

 

一種の流民だな、という気がしないでもない。

戦後昭和以降において、第一次産業従事者以外は、程度の差こそあれ多くの人が流民として暮らした筈だ。いわゆる<転勤族>などその最たるものではないか。

いや、こう断言すると転勤族の諸氏に怒られるかも知れない。私の場合、進学先の東京と転職先の大阪は自由意志による選択ではないか、と。

確かにその通りだ。しかし、と私の弁明。

歴史上の流民と比して、日本の戦後昭和以降は飢餓のリスクが圧倒的に低かっただけで、本質は変わらない。生きてきた時代性、経済構造、労働力確保・配分・・・そういうパースペクティブから眺めれば、諸氏も私も流民に変わりない。その種の社会・経済の需要供給要素から全く自由な、自由気ままな選択範囲など存在しない。いつも私が口癖のように言う通り、我々は全て時代の子であり、時代の枠組からはみ出した生き方をするのは至難の業だ。

しかし一方で、流民はいかなる時代であっても、安心、安全、自由を求めて流浪する。

現代ならそういう過酷な苦難の懸念はないか?

では転勤族の諸氏にお尋ねする。

これまで社命によって仕方なく、あるいは安住の地を求め、あの街この街と流れてきた「過ぎ越し」を顧みて、一度でも「ああ、私はもう安心、安全、自由だ!」と実感したことはあったか?

 

いつの世でも、何かに圧迫され、追いたてられ、突き放されて、流民は歩き出す。

「往き方」は、いつの世でも分からない。

 

                                                                                     

                                                                                   (2024/02.16)

 

 

 

 

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