先日、実家じまいの関係でまた郷里に戻った。
(詳しくはこちら → #3 空き家、限界集落、ゴーストタウン ~ 落日の光景)
大雪の降った後のようで、交通に難渋した。
私の郷里は結構雪が多い土地だが、かと言って「雪国」などという風情はない。
見渡す限りの田圃に、集落があちらこちらと散らばっている。
↓↓ まあ、こんな感じだ。
普段なら、旧友AがJRの最寄り駅(と言ってもそこから実家まで、バスで30分+徒歩10分かかる)まで車で迎えに来てくれるのだが、今回は私の都合でバスを利用した。
↓↓ まあ、こんな感じのバスが、こんな感じの集落を走り抜けていく。
ちなみに、このバス会社は長年赤字続きで運行に嫌気がさしているところを、自治体が毎年拝み倒して助成金を積み、それで今日も、僅かばかりの爺さん婆さんを乗せてイヤイヤ走っている。
近年、全国津々浦々で耳にする話であり、もうニュースのネタにもならない。
手短かに言えば、毎度おなじみ「少子高齢化による地方の衰退」話なのだが、私の実家がある集落もこれに当てはまる。人口180人の準限界集落で、60歳以上の高齢者が過半を占める。これも数年前の統計で、現在では更に高齢者比率が急上昇している筈だ。
統計学は非情な学問で、飾り立てた理念も、地元民の希望も、政治家や官僚のぶち上げる胡散臭いプロジェクトも、ジュッパ・ヒトカラゲに一掃する。計算上、私の「ふるさと」は後10年程度で廃村となるだろう。
実家に立ち寄る度、いつも湧いてくる想いがある。
後10年。この集落の亡びるのが先か、私の死ぬのが先か。
集落を歩くと、一見小奇麗な住居なのにずっと無住とか、あるいは↓↓こういう堂々たる廃屋が目につく。壁が一面蔦に覆われている。
やがて柱が腐り、屋根が落ちる。落ちた後は、一気に自然に帰っていく。