#3 空き家、限界集落、ゴーストタウン ~ 落日の光景 | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

     

        *ネット借用画像

 

私事ながら、私は大きな頭痛のタネを抱えている。

田舎の過疎地にある、敷地300坪と築百年の空き家の名義人になっていることだ。

「古民家」などと洒落た言い方をしても救われない。解体・撤去・更地の費用を見積もると、その辺りの中古マンションが優に買える。事態を甘く見ていた頃、地元の不動産屋に売却を持ち掛けて、鼻で笑われた。それで事態の深刻さを悟り、「無料で差し上げます」オファーを出したが、奇特な応募者は皆無だった。「ただでも要らない田舎の空き家」の典型だ。

困った、困ったと愚痴りながら、固定資産税だの何だのを払い続けて十数年が経つ。

 

 

18歳で出て行ったこの実家について、私は何の愛着もない。

だから、その後半世紀以上にわたり帰郷したのは数えるほどだ。なのに、皮肉なことに、この解体・撤去問題が生じて以来、確実にそれ以上の回数この老朽家屋を訪ねている。

最近、旧友Aの助言を受けて、長い板塀と樹々の一部を撤去した。像の爪を切った程度の進捗だろう。

その際、村をあちこち見て回った。私の古い記憶にある多くの家々が、廃家、空き家、更地になっていた。蔦に覆われた廃工場も、建屋がそっくりそのまま残っていた。建材にアスベストが使用されているので、解体費用が億を超えるというのが放置の理由だそうだ。

私の育った村は、紛れもなく限界集落になっていた。65歳以上が半数を超え、直近5年間に生まれた赤ん坊は1人だけ。こういう限界集落が、今では全国で15,568箇所あると言う。空き家の総数に至っては、全国で850万戸に上るらしい。

(ああ・・・)と私は内心吐息をついたが、それは無論愛郷心からなどではない。私の空き家を管轄する自治体が解体費の支援をしてくれるとか、とてもありそうもないからだ。

 

 

空き家バンクだの特定空家特措法だのと、行政はあれこれもっともらしい対処アドバルーンを上げるが、もはや「過疎化の波」や「老人の津波」には手の打ちようがない、というのが正直なところだろう。それは、中央官庁から町役場に至るまで、実は内心重々承知している筈だ。

この国には、もう非生産的・不可逆的な老化現象に配分する金がない。固定資産税は過疎地の行政コストを支える最後の金づるだろうが、いくら必死に確保しようとしても、肝心の町や村がどんどん寂れて行き、残るのは分不相応に立派な役所の建物だけだろう。あの、日本のデトロイトと言うべき荒廃のレジェンド・夕張市のように。

 

 

      

 

 

余談ながら、私なりにネットで色々と空き家問題の状況を調べるうち、あるジャンルのYoutubeの虜になった。

言わば『廃村探訪』、『バブルのかけらのゴーストタウン』、『廃墟探検』、『繁華街の中のシャッター街』、という類のコンテンツだ。私が知らなかっただけで、これが結構人気だと言う(上記の夕張市の現況もその一つ)。

廃村となる → 家屋が急激に老朽化する → やがて屋根が落ち、柱が倒壊する → 大地に平伏した廃材はゆっくり樹木や草に覆われ、森に収斂され、遂に自然に返って行く。

 

          

 

私は心打たれ、(素晴らしいドキュメンタリーだ!)と感銘を受けた。

曲がりなりにも、昭和・平成・令和の三代を見聞きして来たので、なおさら、近年この国に広がる落日の光景に心惹かれるのか、とも思う。

とは言え、例えば自撮り棒を肩に廃村探訪のyoutuberを装って、「何か金目の物はないか」と空き家を漁る泥棒も出没するとのことなので、私の「荒城の月」的感慨もたちまち鼻白む。

                                                                                                                                                                            (2023.10.24)

 

 

 

 

 

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