* 「間仕切り屋の篠やん」は、いつもこんな感じの顔付をしていた。
もうかなり前のこと。
「間仕切り屋の篠やん」から電話があった。
「篠やん」のフルの姓も、なぜ「間仕切り屋の篠やん」という通り名なのかも、ちょっとした事情があって書けない。とにかく、昔、大阪上本町の薄暗い雑居ビルで、事務所が近いという理由から知り合ったブローカー仲間だ。
この人は話し方に癖があって、電話をかけてくる時も「もしもし」の代わりにいきなり「どないでっか?」と言ってくる。確かに篠やんは生まれも育ちも関西人なのだけれども、今時こんなコテコテの挨拶をする人は少ないし、本人もユーモアのつもりでわざと言っていた。問題は、そのユーモアセンスが常に空回りすることだったが、私を含め周囲は黙認していた。
で、あの時、篠やんは「ところでな、吉岡さん」という前置きの後、いきなりこう聞いてきた。
「あんた、作家なん?」
不意を突かれて、私は少し慌てたと思う。別に秘密にしていたわけではないが、篠やんの読書傾向は日経から競馬ブックの範囲であって、小説だの詩だのとは縁がない。従って、その手の話はしたことがなかった。
「そんなこと、誰に聞いた?」私は少し警戒した。
「誰も何も、あんたのことインターネットで検索してたら、吉岡暁いう偽名が出て来て、作家と書いてるやんか」
(偽名ってなんだ、筆名と言えよ)と当然突っ込みたくなったが、警戒心はいよいよ増した。
「何で今更俺のことを検索する?あんたに借金した覚えはありませんがね」
篠やんは私の言葉を無視して、更に根掘り葉掘り聞いてくる。
その小説でなんぼ儲かった?本一冊出たら印税はなんぼくらい入る?原価ゼロやろ?税率は?
私は閉口して、正直に返した。
「全部足してもな、あんたが昔、潰れかけの同業者のお産手形を8掛けで買い叩いた額にも届かんよ」
いや、そんな、人聞きの悪い!と、篠やんは笑って誤魔化したが、金額を聞いた途端一気にこの話題に関心を失ったようだった。後はもう、産業機械業界の噂話だの、(二人でもう一回機械やろうな)というお誘いだの、(大体、あんたは昔から粘りが足りん!)というお説教だの、様々なことを一方的にまくし立てて電話を切った。
間仕切り屋の篠やんが、最後に聞いてきた問いかけはこうだ。
「ほんで、あんた、今何やってんの?」
*
まず、ーーー「あんた、作家なん?」
作家の定義を「商業出版の有無」と置けば、私は作家だろう。だが、「お産手形の8掛け」に満たぬ収入を鼻で嗤う物質主義的価値観は、篠やん同様私にも強固に染みついている。当然だ、些か胡散臭いブローカーとしても10年は生きてきたのだから。
しかし、同時にいつまでたっても消えない「混ざりもの」がある。いつまでたっても、カフカやランボーや伊藤静雄に心惹かれる。これが、時に宿痾のように感じられる。
それから、ーーー「ほんで、あんた、今何やってんの?」
今おまえは何をしているのか、だと? 余計なお世話だと思うものの、少し刺さる。いや、かなり痛む。
以前、私は自分の未完の処女作について書いた。
#38 私の幻の処女作『ささやま情話』 ~ 丹波篠山の思い出
これが、いつまでも引っ掛かっている棘だ。どうしても抜けない。
「小説書けよ」と娘にケツを蹴られ続けるのも、大概疲れた。
「そんな、頭掻くようなわけにいくかよ」と言い訳を続けるのも疲れた。
願わくは、私の死後も(ああ、父親はこういう人間だったのか)という娘の理解の一助になるような作品を書きたいと思った。で、再度幻の処女作の改稿を始め、自分を鼓舞するためにいきなりラフまで手配した w。
頭のどこかでブローカー根性(または理性)が、気は確かか?と囁いてくるけれども、「一期は夢よ ただ狂へ」とも言うではないか。
さて、「間仕切り屋の篠やん」のその後。
一度病を得て療養中とは聞いた。今も、少なくとも存命であることは間違いない。それ以上のことは知らない。噂話では、未だに「知っていても書けない」ような活動を継続中とか。してみれば、これもまた彼の「一期は夢よ」かも知れない。
客先の工場、商工会議所、銀行から、上本町の居酒屋、淀競馬場、時間つぶしのパチンコ店に至るまで、よく行動を共にした。その長い付き合いに比して、少しも親しい間柄にならなかった事実が、今となっては妙に可笑しい。
もし今度、「どないでっか?」と「ほんで、あんた、今何やってんの?」が来たら、はっきりと「小説書いてる」と応えたいものだ。
(2023.11.23)