#41  宗教と政治(世間ガイドブック その4)~ 社会生活上のタブー | 吉岡 暁 WEBエッセイ ③ ラストダンス

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WEBエッセイ、第3回

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  日本で社会生活を送る時は、宗教と政治についての会話には細心の注意を払わなければならない --- そんなことは、いわゆる「大人」なら殆どの人が心得ている。(日本のみならず、その2つの話題の敏感さは欧米でも同様であり、途上国へ行けば行くほど余計に増す。)

  その理由と背景を理論的に説明しようとすると、大日本帝国興亡史、近代日本思想史、日本国憲法第19条「思想及び良心の自由」、1945年を境目とする政治・社会・文化の断絶、等、とんでもない範囲と量のリファレンスに言及する必要がある。少なくともブログなどという媒体に記すようなコンテンツではなく、書き手である私の寿命も持たない。
 そこで、芸能界、ネット、あるいはアニメ、ソシャゲを含むエンタメ以外に何の関心もない若者向けに、社会生活上のタブーとしての宗教・政治論議について卑近な実例、あるいはシチュエーション劇を羅列し、一種の実践的なレッスンを提供したいと思う。

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 娘がまだ15、6歳の頃、私は一つの処世術を教えたことがある。
  「いいかい?大人になったら、人と大っぴらに宗教と政治の話はするんじゃないよ」
 当然、何故かと娘が聞いたので、「喧嘩になるからだ」と私は答えた。

  その後長い説明を付け加えたが、当時の娘はそのどちらにも全く無関心で、私の長広舌をろくすっぽ聞いていなかった。

  それが大学生になると、ガラっと変わった。経過の仔細は覚えていないが、当時世間を騒がせたマルチ商法の被害について、「おまえも気をつけろよ」みたいなことを私が言うと、「大丈夫」と娘は苦笑して応じた。

   「今時、路上でニコニコ笑いながら話しかけてくるのはマルチかカルトに決まってるから、すぐ分かる」
 (ああ、なるほど)と、私は娘の極めてプラグマティックな社会的成長を頼もしく思った。しかし、カルトなど当然論外としても、いざ社会に出てみると、相手の思想・信条が「すぐ分かる」ような状況は殆ど出現しない。当たり前の話で、皆、プライバシーのロッカーの奥に仕舞っているからだ。

   君が思想的に右寄りか左寄りか、「ネトウヨ」か「アカ」か、などはこの際どうでも良い。思想の自由は憲法で保証されているが、自分の思想信条を声高に語って世間で「うざ」がられるリスクは、右も左も変わりない。

  例えば、左寄りの君がある仏具メーカーの営業職に就いたとする。で、ある日、得意先の著名な寺院を訪問してこう言ったとする。
   「宗教は阿片です」
   日本国憲法第19条で「思想及び良心の自由は,これを侵してはならない」と明記されているので、塩を撒かれて蹴り出されるようなことはないだろうが、およそ最低のセールスマンとして、企業人として当然「アウト」だ。
  アウト、とはどういう意味か?
   現実的には、君の会社がそれだけで取引停止を食らうようなことは滅多にないだろう。なぜなら、日本の二大メジャーである既成仏教と神道は、既に古代から日本の宗教マーケットの大半を握っているので、その歴史と伝統に支えられて、多少の批判を浴びてもびくともしない。君如きの言葉など歯牙にもかけない、という意味だ。
  問題は、君が生計を立てる基盤である君の会社の内部で生まれる。「あんな空気読めない奴は外へ出すな」みたいな反響が社内で生じる。つまり評価が失墜することになる。

   例えば、左寄りの君が銀行マンだとする。上から融資拡大ノルマを課せられて、マンション建設を計画している先祖代々の土地持ちの資産家を訪問し、その際、何かの拍子に君が次のようなことを口走ったとする。
   「大体、土地私有制度そのものが問題ですよ」
 無論、君の思想の自由は保証されるが、最低のセールスマンとして「アウト」であることは上に同じ。

 

 (いくら何でも、そこまで世間知らずじゃないよ!)と思うかも知れない。あるいは、
 (私は営業じゃないから、そういうメンドイ状況にはならない)と安心しているかも知れない。
  本当にそうだろうか?
   冒頭に記したように、君が「芸能界、ネット、あるいはアニメ、ソシャゲを含むエンタメ以外に何の関心もない」若者だと仮定しよう。また、「今時、宗教とか政治とかうざい事やってる奴っていんの?」 と鼻で笑う頭の軽いタイプだとする。

  そういう君が知るべき事実はこうだ。

  例えば、幕末・明治維新以降に創設された「新宗教団体」は、2013年現在で64団体あり、その上位30団体だけを取り上げてみても、公表信徒総数を合計すると、日本の人口の半数を軽く超えてしまう。話半分としても、25%超え、つまり日本人の4人に1人以上は、いずれかの新宗教団体の信徒、ということになる。更に、これに既存宗教団体の信徒数を加えるとどうなるか? 信仰度の濃淡の差とか、神仏混交・重複による水増しという要素こそあれ、「宗教とか政治とかうざい」と思っている君が家の外で会う人々は、大半がなにがしかの宗教の信徒ということになる。無宗教の君の方がマイノリティーなのだ。
   また、既存宗教団体と比べて新宗教団体は、一般に批判に対してよりアグレッシブに反撃する傾向があるという点も覚えておく必要がある。平たく言えば「売られた喧嘩は買う」スタイルで、これには「不買キャンペーン」などの戦術が含まれる。従って、単にB to C の企業だけでなく、殆ど全ての企業が新旧を問わず宗教団体とのトラブルを恐れ、いかなる軋轢も避けようとする。もう一つの代表的な「売られた喧嘩は買う」組織である政党や政治団体にとっても、宗教団体は新旧共に大票田であったりするので、迂闊に逆らえない。

  だから、もし君が顧客の宗教団体とトラブルを起こしたら、君の会社は従業員である君を守るなどとは考えない方が良い。社会人となった君が肝に銘じておくべき一つの明白な社会学的現実である。

 

     

新宗教の信者数最新ランキング紹介|NEWSポストセブン (news-postseven.com)

 

   政党、政治団体が絡むと、話は更にややこしくなる。
   「自民党は腐敗しきっている」とか「共産党は独裁的で怖い」とかなら、それを口にするリスクは最大限5割で済む。相手が自民党または共産党の支持者か否か、それだけである。

  しかし、現実はもう少し複雑だ。
   例えば、右寄りの君がいわゆる一流大学を出て、大手通信キャリアの社員になったとしよう。ある日昼食をとっている時、隣の同僚にこう言ったとする。
  「今度天下りしてきた社長、総務省畑じゃないし、リベラル系みたいだけど大丈夫かな? まさかと思うけど、また立民が天下とったりしたらシッチャカ・メッチャカじゃん」
   で、後日この発言を耳にした電通労連の活動に熱心な君の直属上司が、(フン)と口を歪めて笑ったとする。結果、君はまだ「アウト」ではないが、日常業務あるいは評価で不利益を被るリスクもないではない。因みに、日本労働組合総連合会(いわゆる「連合」)の構成員は約699万。労働力人口の約1割に当たる。

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   君達は、窮屈で、暗黙のルールだらけで、親しい相手以外にはお天気と季節の話しかしない方が無難な「世間」にデビューしようとしている。その中で、宗教と政治こそが最も発火点の低いホット・イシューだ。なのに、「芸能界、ネット、あるいはアニメ、ソシャゲを含むエンタメ以外に何の関心もない」 風船頭のまま就職するのは、丸裸で家を出て通りを歩きだすのも同然だろう。しばしば「恥ずかしい」だけでは済まない結果になる。
   さらにまた、この世間の一番厄介な点は、誰がどんな宗教を信じ(あるいは信じず)、いかなる政治信条を抱いているのか(あるいは、抱いていないのか)分からない、ということにある。そういう意味では、職場やその他の社会生活の場を含めた世間とは、全部巨大なポーカー場みたいなものと言える。そういう状況の理非曲直はまた別の話で、君はたちまちこの春からこの巨大なポーカーゲームに参加しなければならない。従って、ポーカーフェイスの練習くらいしておくべきだろう。少なくとも、全員がポーカーをしている中で、自分一人インディアン・ポーカーをする愚を犯してはならない。
  何を語っているのか、分かってもらえただろうか?
   これでも分からなければ、社会に出てから最低1年は、宗教と政治について口を噤み、ネットコンテンツだけでなく新聞も読むことを勧める。