長いお別れ | チャウ子のそれでも本を読むのだ

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チャウ子のごった煮風500字読書日記
 地味に更新中f^_^

 

 

 

 かつて中学の校長だった東昇平はある日、同窓会に辿り着け

 ず、自宅に戻ってくる。認知症だと診断された彼は、迷い込

 んだ遊園地で出会った幼い姉妹の相手をしたり、入れ歯を次

 々と失くしたり、妻と3人の娘を予測不能なアクシデントに

 巻き込みながら、病気は少しずつ進行していく。あたたかく

 て切ない、家族の物語。         ー裏表紙よりー

 

 

 再読です。

 以前読んだときはまだ両親の介護が始まっていませんでした。

 だから当然ですが、介護や認知症に関しては他人事でした。

 それから両親の認知症が始まり、最初の頃はとまどいや腹立

 たしいことがいっぱいで心が休まりませんでした。

 父も母も理不尽なことを言うのでこちらも頭に血が昇って、

 言い争いになることもしょっちゅうでした。

 私の場合は同居ではなかったので両親宅から帰るときが一番

 ホッとするときでした。

 段々、認知症のこともわかってきて対処の仕方もわかってき

 ました。

 世の中の風潮として認知症にだけはなりたくないとか、実際

 私も言われたことがありますが、認知症になればこの世の終

 わりということはもちろんありません。

 この小説にも出てきますが、認知症の場合その時々で症状が

 変わるので、手が付けられないときもあれば、スムーズに会

 話ができることもあります。

 本書の東昇平は初期の認知症と診断されますが、その行動は

 どこかユーモラスに描かれています。

 認知症はこんなもんじゃないと思う方もいるかもしれません

 が、一瞬で何もかもがわからなくなったり、できなくなった

 りするわけでもありませんし、今のことはすぐ忘れたとして

 も、昔の記憶は鮮明に残っているということもあります。

 昇平も若かりし頃の記憶があると見えて「東さん」と呼ばれ

 ても返事をしないのに「先生」と呼ばれると機嫌よく返事を

 するというシーンもあります。

 この小説では昇平の妻・曜子が寄り添って介護をしています。

 頭が下がる思いです。

 娘たちも自分たちにできる精いっぱいのことはしています。

 介護は確かに苦しくて辛い。でもこの小説には悲壮感がない。

 なんともいえない愛情が溢れている。

 私はそこが好きです。★★★