明日から3月!

本の骨組みを見ていく作業を一休みして、少し横道へお散歩。

こんなことをしていたら、迷い道に入って終わりまでたどり着けなさそうですが

ゆっくりといきます。

 

IIの冒頭にあるエッセイ、「戦時下一小学生の読書記録」は、こんな風に始まります。

 

私は1934年1月16日生まれ、1940年4月に小学校に入学した。

中国との戦争が始まって2年9ヶ月を経過していた。

 

この歳は紀元二千六百年の祭典があったけれども、日独伊三国同盟が結ばれて、陰鬱な年であった。二年生になると、ドイツの名称「フォルクスシューレ」に倣って小学校は「国民学校」と改められた。「ヒットラー・ユーゲント」に倣って「大日本少年団」が結成され、鍛錬の名のもとに上級生による下級生いじめが正当化された。「サイタ、サイタ、サクラガ、サイタ」から「アカイ、アカイ、アサヒ、アサヒ」へと国定教科書も変わった。

 

この箇所を読んだ時、

 

同じ1934年、12月19日生まれの父から聞いた話を思い出しました。当時父は祖父の仕事(新聞記者だった)の関係で京城におり、そこの小学校でのこと。(ガキ大将にいじめられたのは日本へ戻った逗留先でだったと聞いています)京城には日本各地からの子と、地元の子が教室にいたと思われます。地元の女の子が隣の席で、その子の家に誘われたことがあったそうだから。たまたま音読に当てられた子が

 

「アカイ、アカイ、アサシ、アサシ」

 

と教科書を読んだ。そこで先生が

 

「君の出身はどこかね」

 

とその子に尋ねると、

 

「東京です」

 

それを聞いた先生は納得したように頷いたとか。父は

 

「江戸っ子はヒをシと発音するんだ」

 

と教えてくれました。これが子ども心に印象深かったのです。

 

さて、当時の様子は中井さんによると。

 

多くの中学校は生徒に「小説を読むこと」を禁じていた。漱石、鴎外も例外ではない。映画は父兄同伴である。違反は補導の対象になった。ついでにいうと、男女が連れ立って歩くことは、大人でも、警官が呼び止めて「説論」する対象であった。実に女性は、夫婦であろうと婚約者であろうと、男性の後を何歩か遅れて歩くものであった。(何だかSFを書いてる気がした)

 

今からすると信じられない世界です。先日、私はある種の恋の歌(短歌)についていけない、と書きましたが... 恋を自由に歌い表現できることの意味合いがこの風景の中に立つと全く違ったものになります。(ついていけないことと、表現の自由を守ることは別)

 

小学生に禁止令はなかったそうですが映画は「戦意高揚映画」、読み物は「幼年倶楽部」「少年倶楽部」「少女倶楽部」漫画「のらくろ」。そして戦死者遺族に配られる「靖国の絵巻」

 

父が小学生の頃にどんな本を読んでいたのか聞いたことはありませんが、夕食後に漫画「のらくろ」と「フクちゃん」の絵を描いてくれたことを覚えています。

 

昭和十年代は書籍飢餓の時代であった。初めは検閲のために、後には紙がないために、本がない。人々が書店の店頭に群がってたちまち売り切れる。私は最近まで、書店に行くと「今買っておかなきゃ無くなる」と思わずつぶやく癖がなくならなかった。

 

よく似た話は6歳上の1928年生まれ、数学者森毅さんの「ぼちぼちいこか」にもこんな文があります。

 

一番ひどかった活字飢餓は、工場動員の寮で、みんな二冊や三冊は本を持ってきても、すぐ読んでしまう。おたがい貸しあうが、それもつきる。たまたま、百科事典の「へ」の巻を一冊だけ持ちこんできたのがいて、それが一番読みごたえがあった。

 

本を読むのに目的はない。いつ死ぬかわからんから。ミステリーを読んでいて、犯人がわかる前に爆弾が落ちてきたら困るなあ、と思っていた。

(森毅「ぼちぼちいこか」読書癖より)

 

中井さんは長男であったために兄姉の本に触れる機会もなく、童話を読まずに、いきなり大人の本を読んだのだそうです。当時学校に図書室もなかった、というのも今では信じられません。

 

「ドリトル先生アフリカ行き」は「幼年倶楽部」に連載されはじめてすぐに中断。

繰り返し繰り返し同じ本を読んだとか。

 

*お父さんの本から

ポール・モーラン「夜ひらく」「夜とざす」

鶴見祐輔(鶴見和子・俊輔姉弟の父)「母」「子」

アナトール・フランス「舞姫タイス」他何冊か

木下利玄全歌集

 

*お母さんの本から

聖書

「主婦の友」

 

*お父さんのお土産

シャンド「地球と地質学」

ジュール・ヴェルヌ「海底二万里」

 

*自分で見つけた本

山本一清「天体と宇宙」

 

物心ついた時にはもう戦争があった。本土決戦に備えて、12歳以下の少年と60歳以上の老人とで「国民戦闘隊」が組織されるはずであり、各自武装するようにとお達しがあった。

 

そして敗戦。

 

突如という感じで戦争が終わった。最初の直感は、これからは生きてゆける、そして文弱の徒でも生きてゆけるということであった。

 

やがて、街の本屋に岩波文庫が現れ、最初に買ったのは

 

夏目漱石「こころ」

ゼーデルブローム「神信仰の生成」

 

旧制高校の尋常科に進んで豊富な図書館を利用できるようになり、読書の飢餓時代は終わりを告げます。最初の1年は、失われた小学生時代を取り戻すようにみんなと幼稚な遊びをした中井さん、2年の秋にはっと我に返って収集した切手を売り、手に入れたのは

 

呉茂一「ラテン語文典」

 

子供時代への訣別であり、私なりの自我の目ざめだった。旧敵英米の精神の源流を探ろうと私は思った。

 

という文でこのエッセイは締めくくられています。

 

「旧敵英米の精神の源流を探ろう」

 

これは戦時下に小学生であり、食糧の面でも深刻な飢餓にあい、平均身長もその前後に比べ低かった父の世代にはよくわかる思いではなかったか、私の父にも「アメリカの文化を理解したい」というところがあり、そう実際に話していたのを思い出しながら読みました。

 

とは言え中井さんは

 

あの戦時中さえ、食糧難は知らないという人にも、家族親族に出征者がいないという人にも会っている

 

わけで、同じ時代を生きていてさえそれを知らず大人になった人もあるのでしょう。

 

次回は、道をまた戻ってIII へ入るつもりです。

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<これまで進んだところ>

 

はじまり

 I

 II