「本を読む本」を参考にじっくり読んでみようとしているのですが、この通りにはなかなかいかないです。おぼつかない足取りですが。

 

昨年、小学生にも読めるように書かれた「いじめのある世界に生きる君たちへ」を手にして衝撃を受け、そのもとになった、「アリアドネからの糸」に収められたエッセイ「いじめの政治学」を読んでみたいと思っていました。

 

 

 

「いじめの政治学」には、「いじめのある世界..」では詳しくは語られなかった、中井さんご自身のいじめられ体験がありました。戦争中、教師から「おまえのような文弱の徒はお国のためにならないから叩き直してやる」と叱責され、ガキ大将(大日本少年団の分団長を任じられていた)から激しいいじめを受けた。これは同じ1934年生まれの父から聞いたこととも符合するものでした。(→過去記事

 

私の父は精神病院の検査技師として働いていました。母も別な検査センターで同じ仕事をしていたため、私は幼い頃から父や母の職場でよく過ごしました。父の勤めた病院は、大きなガラスの扉を入ると木製の下駄箱が並んでいて、スリッパに履き替えて青い色調のロビーに入ると右手は受付でした。左手には緩やかなカーブを描くスロープがあり、スロープを上がると、森の中を流れる川の暗い大きな絵が壁にかかっていました。そこは茶色い大きなソファーがいくつか置いてある空間でした。空間を右に進むと小さな売店があり、手前を左に折れると父の仕事場である検査室。まっすぐ進むと10mほど先で行き止まりで、緑のペンキが塗られた鉄格子の重い扉がありました。時折白衣の人が音を響かせて出入りすることありましたが、行ってはいけないよと言われていました。

 

中井さんは精神科医としてその扉の向こうにおられた方です。

 

「アリアドネからの糸」のあとがきに 

 

"私が踏み込んだことがない迷宮に入ろうとした試み”

 

とあります。この迷宮の全貌、構造は、"あとがき”でかなり明らかになっていて読解の助けとなりました。

 

"この本に収めたものには、硬いものも、さほどでもないものもある"

 

ともあります。これは最後のエッセイ「ロールシャッハ・カードの美学と流れ」に書かれてあることが一つのヒントになりました。6つの章( I〜VI )に配置された文章が、10枚のロールシャッハ・カードのように緩急があり、また互いに関連性を持って並べられているのです。おそらく美学を持って周到に。各エッセイはテーマとして連続しているもの、飛び地のように別の章へと跨っているもの、様々です。

 

中井さんのあげた「問いかけ、謎」(=テーマ)を並べると。

 

■テーマーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

①いじめがなぜ被害者が抜けられないワナのような構造を持っているのか、

 なぜ外部から見えない透明性を帯びるのか。

 

②私がどのようにして今の私になったのか

 

③冷戦後の世界と日本はどうなるのか、人口減少で自分たちはどうなるのか

 

④記憶の老化はどのように進むか、PTSDにおける侵入症候群はそもそも何か

 

⑤ヒトにとって色とは何か

 

⑥治療環境(病棟、診察室)を変えれば病状や治り具合や社会復帰はどう変わるか

 

⑦阪神・淡路大震災が何であったか、それがどういう経験を我々に与えたか

 

⑧詩の訳は可能かーヴァレリーの詩の謎解きー

 

⑨ロールシャッハカード全体が一つの流れとして捉えられるのではないか

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この本が、1995年1月(阪神・淡路大震災の年)〜1996年10月の2年足らずの間に書かれたエッセイを集めたものであること、と同時に1997年3月、63歳で神戸での精神科医としての現役を引退することを意識して書かれたこと、がとても重要に思えました。

 

「私がどのようにして今の私になったのか、そしてこの先はどうなるのか」

(”我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか")

 

いつもなら患者さんの自己(病や傷)に向き合い癒す立場の医師が、どのように自分自身と向き合ったのか。迷宮は自己のことでもあります。読み手の私も、自分の乏しい知識と経験を頼りに、そこにある糸つかめそうになったり、つかみそこなったりしながら読み進みました。

 

(つづく)