前回、「アリアドネからの糸」の"あとがき"から、テーマを書き出しました。全体は I 〜VI の6つの章から成り立っています。それらテーマと、各章のエッセイの関連を一番下に示しました。今回は、I を主に見ていきます。

 

I が、「いじめの政治学」で始まり、またこの1つだけでを構成していることに強いインパクトを受けます。全エッセイ中、最も重いテーマの1つを、何故冒頭に持ってきたのか。この「いじめの政治学」の締めくくりに

 

<たまたま、私は阪神・淡路大震災後、心的外傷後ストレス障害を勉強する過程で、私の小学生時代のいじめられ体験がふつふつと蘇るのを覚えた。それは62歳の私の中でほとんど風化していなかった。>

 

という文があります。

 

これを読んだ時、東日本大震災で、信号も消えて電車も止まり、所どころ崩れた街並みや、放射線の見えない不安の日々の中に身をおいたときに、私の中で様々な価値観が壊れたことが思い出されました。その時に「私にできた凹みは元には戻らない。しかし私は戦時がどういうものかようやくわかるようになって、これで多くの戦争体験が同じ地平に立って本当に理解できるようになったのではないか」という気持ちになった事も思い出されました。

 

未曾有の災害が、五十年以上前の過去の記憶を呼び覚まし現在と共振する。ここが以降のエッセイ全てに通じる入り口、起点として置かれているのです。

 

「いじめの政治学」のテーマ

 

①いじめがなぜ被害者が抜けられないワナのような構造を持っているのか、

 なぜ外部から見えない透明性を帯びるのか。

 

についてはこちら(→去年記事)で触れたので、ここを起点に II、IIIへ流れていくキーワードを考えてみることにします。

 

■キーワードーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

戦時下(過去) ⇄  阪神・淡路大震災(現在)

 ↓                                ↓

いじめられ体験 →  PTSD (心的外傷後ストレス障害)

              

人生の転機                記憶

 

      過去と現在のつながりを取り戻す

 

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これらのエッセイと同時期に中井さんは、ハーマンの「心的外傷と回復」を翻訳されています。ハーマンは本の序文に次のように書いています。

 

<本書はつながりを取り戻すことにかんする本である。すなわち、公的世界と私的世界と、個人と社会と、男性と女性とのつながりを取り戻す本である。本書はコニュニケーションにかんする本である。レイプ後生存者と戦闘参加帰還兵との、被投打女性と政治犯と、多数の民族を支配した暴君が生みだした強制収用所の生存者と自己の家庭を支配する暴君が生みだした隠れた小強制収用所の生存者とのコミュニケーションを図る本である>

 

 

つながり=糸 だと思うと、やはりこの「アリアドネからの糸」も中井さんの私的世界と公的世界、過去と現在、様々な「傷み」のつながりを取り戻すことに関する本で、更に少し踏み込んでみると、未来への癒しの糸口をつかもうと試みられた本だとも言える気がします。

 

■テーマーーーーーーーーーーーーーーーー

 

①いじめがなぜ被害者が抜けられないワナのような構造を持っているのか、

 なぜ外部から見えない透明性を帯びるのか。  

   →I いじめの政治学(1)...過去と現在の共振(阪神・淡路大震災を契機に)

 

②私がどのようにして今の私になったのか

 →II 戦時下一小学生の読書記録(2) 移り住んだ懐かしい町々(3) 三幅対(4)...過去

        医師は治療の媒介者(5)...現在(震災後)、医師職業(患者)との別れ(未来)

    ハードルを一つ上げる(9)...過去〜現在〜未来、医師職業との別れ

 

③冷戦後の世界と日本はどうなるのか、人口減少で自分たちはどうなるのか

 →II 日本の心配(10) 私の選ぶ20世紀の本(13) 私の「今」(14)...現在〜未来

 

④記憶の老化はどのように進むか、PTSDにおける侵入症候群はそもそも何か

  →III 記憶について(17) ...①〜③を受けて⑦へ繋がる

  →V 詩を訳すまで(26)

 

⑤ヒトにとって色とは何か

  →II ロサンゼルスの美しい朝(6) 清明寮にオリーヴの木が来た(7)二度目のルミナリエ(8)

                                     ...視覚的に鮮やかなエッセイ3つ、震災後のエピソード

  →III 赤と青と緑とヒト(15) 記憶について(17)...⑥⑦へ繋がる

        症状というもの-幻聴を例として(16)...聴覚(音)とは何か、医師職業との別れ   

 

⑥治療環境(病棟、診察室)を変えれば病状や治り具合や社会復帰はどう変わるか

 →II 清明寮に小豆島からオリーヴの木がきた(7)

   →III 精神科治療環境論(18) ...過去〜現在

 

⑦阪神・淡路大震災が何であったか、それがどういう経験を我々に与えたか

 →(I いじめの政治学(1) II 医師は治療の媒介者(5))

 →(II 二度目のルミナリエ(8)) 

 →III 喪の作業としてのPTSD(19) 

    阪神・淡路大震災の我が精神医学に対する衝迫について(20)

         二年目の震災ノート(21) ...震災後の現在

         「こころにやさしい」社会(22)...震災後の未来

 

⑧詩の訳は可能かーヴァレリーの詩の謎解きー

   →I 感銘を受けた言葉(11) はじめの一冊(12) ...言葉の感覚、詩へのつながりを予感

   →II 記憶について(17)...言葉の感覚

   →IV リッツォス『反復』より(23) これは何という手か(24) ...訳詩

 →V 「若きパルク」および『魅惑』の秘められた構造の若干について(25)

          詩を訳すまで(26)

    訳詩の生理学(27) 

    脳髄の中の空中庭園-「セラミスのアリア」注釈(28)

          セラミスのアリア(29)...訳詩

          私の三冊(30)...詩の本  

  →VI 「創造と癒し序説」創作の生理学に向けて(31)

                                        ...詩人、作家の創造と癒し(破壊)について

 

⑨ロールシャッハカード全体が一つの流れとして捉えられるのではないか

  ーロールシャッハ図版の謎解きー

  →VI ロールシャッハ・カードの美学と流れ(32)