『人狼戦線』その4
銃弾型原爆を奪ったのは、元全学連のメンバーであった、リュウこと堀江竜太郎。
機動隊員の警棒で頭部を殴られ、脳障害を負い、お荷物として“サクラ”達に監禁されていた青年です。
手がかからない大人しい青年と思われていた彼も、“世界革命の理想”は忘れていなかったようで、原爆を手にすると、革命の為のアクションを起こすために姿を消す。
最後の“原爆ジャック”の犯人が、凶悪な大組織ではなく、一介の青年であったことが、この小説のキモだと思います。
アニキは、郷子さまとチコの命を救ってくれた恩があるリュウに、大罪を犯させないために、彼を探そうとする。
公安のスパイとして、過激派グループに送り込まれた、竹川という哀れな存在も、とるに足らない雑魚キャラかと思いきや、アニキの身代わりになって、マフィアのヒットマンに撃ち殺されるという、重要な役割を持っていた。
「身代わりに死ぬ」ことだけが彼の役割ではなくって、どぶ底みたいな暴力と裏切りの世界にどっぷり浸かって、苦悩し続けて、最期の瞬間に犬神明という自らの反転存在のような男と出逢って、彼の代わりに撃たれる……。その全部が、彼個人だけではなく、世界にとっても大切なことだった。
雑魚キャラなんて存在しない。
作中にも、もちろん、リアル世界にも。
またこの時のアニキが、竹川が撃たれるのを見て、果敢にヒットマンに立ち向かうんです、不死性を喪った状態なのに!
どんだけ男前なの犬神明!!
受けた銃弾の傷も癒えぬまま、人狼の特殊能力も喪った状態で、リュウを探しに街に出るアニキ。
人相の悪いタクシー運転手、そして青葉荘の住人である来宮静子の好意を受け取ることで、重要な悟りを得る……。
この辺りは、美しすぎる形ではっきり作中に描かれてますので、あまり言挙げするのは控えます。
まともに歩けないほど疲弊したアニキが、来宮静子の優しさに触れ、彼女が淹れたコーヒーを飲んで、心底からの感動を味わうシーンは、苦行に苦行を重ねたブッダが、少女スジャータが与えてくれた乳粥の滋味に感動して、悟りを開いたという故事にも重なって、まさにそのレベルの大悟だったんだと思います。
「コーヒーはハートでいれるんだ。唯一の秘訣さ」
こんな何気ない一言にも、アニキの愛が溢れてる。
「この酷薄で容赦のない“犬の世界”にあっても、狼の魂を持っている人間は無数に存在するのだ。
おれがもっとも無力な存在になりさがったとき、おれは真の狼になった。他者と心を分かちあうことができたのだ」
“おれはここに居る。君はそこに居るのか?”
平井作品には、通底して、このメッセージが流れてるように思えます。
犬神明が抱えてた孤独感って、平井和正が抱えていたそれに、通じるものがあるのかも。
ヒットマンの襲撃を、紙一重のところでかわしながら、ついに霞ヶ関ビルの上層階で、ライフル銃に原爆を装着したリュウの元にたどり着く。
さらに襲い来る、マフィアのヒットマン……と、もう最後まで怒涛の展開。
リュウが咄嗟に放ってしまった原爆は不発であり、ヒットマンは銃弾に倒れ、一連の騒動は落着を迎える。
この不発は、偶然ではなく、郷子さまの超能力によるものだと後で分かりますが、念を送るにしても志向先を明確にしなければならず、アニキがリュウを探し出せなかったら、英雄妄想に憑かれた彼によって、日本の中枢、官庁街のどこかに、原爆が撃ち込まれていた可能性は高いですね。
読めば読むほど、まさに紙一重で危機をすり抜けてゆく、展開の妙と抜群の面白さに感動させられるのですが、この物語が明確なプロットがない状態で、書き進められたのは有名な話です。神かよ。
エンディング、向精神薬を大量に投与された状態で、精神病院に軟禁されているアニキ。
人狼の不死性を喪い、薬の影響もあって半病人さながらな姿は、矢島の憐みを買うほどですが、しかし、別れ際に矢島から告げられた“ある事実”が、アニキを甦らせる。
「おれは笑い、涙を流した。おれは甦り、再び生きねばならない。狼の魂を秘めた、未知の友人たちのために」
「法雨」と呼ばれる浄化の涙ですね。
過去の聖賢が悟りを開いたレベルの目覚めを、極上のエンターテイメントに交えて描いてしまうこの力量。
人間に対して心を開いたことで、信頼できる人間の協力者、パートナーが、この先現れることになります。
「大霊(おおみたま)の使徒(つかわしめ)」たる自己を認識したアニキ。対峙するのは、自身の存在にも大きく関わる、世界規模のある陰謀です。