先日、知り合いの女の子に、別れ際「幸せになるんやで!」言いましたら、「うるさいですよ!」って返されてしまいました(^_^)。
ぼくとしたら、同じレベルの幸せ度から、共感とお祈りを込めて言ったつもりやったんですけれど、そうはとられなかったみたいで、言い方まずかったかな~ってちょっと反省してしまいました。
確かに、この言葉って表裏一体で、「あなたは今幸せではない」って意味も含んでるんですよね。よく分かってはいるつもりなんですけれども、ぼくを含めて、世間一般で言う普通の幸福を得られてない人って、コンプレックスが心の傷としてあるので、それが好意だったとしても、まぎれもない屈辱として感じてしまうこともある訳で。
我が身を振り返っても、心を許した友人ならともかく、幸福満点なきらきら笑顔を浮かべた知人に「幸せになってね!」とか言われたら、大きなお世話や! って腹立ってしまうと思いますし(^_^)。
数年前にも、ある方に「幸せになりましょう!」って言ってしまって、「自分は充分幸せです」って返されたことがあります。
その時は、相手の方は自分より数段現実的な幸福度が高いという前提で、個人的に受けるべきでない苦しみや痛みまで背負ってらっしゃる様に思えたので、「もうちょっと心を楽に生きましょう」って意味で使ったんですけれど、やはりそういう細かいニュアンスはなかなか伝わらないものですね。
相手を思い遣る言葉なはずなのに、なかなか使うのは難しいなあ……なんて、竹内まりやさんの“幸せのものさし”を聴きながら考えておりました。