横堀社長との思い出 | ⚡️SHIBATA⚡

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大人の遊びをクリエイトする会社!

 

かれこれ10年ぐらい前だと思うけど、ドリパケミニっていうラジコンが、ヨコモから出ていて(その当時は、うちはラジコンメーカーじゃなくて、サーキットだけやっていた)、ヨコモの本社にいって、初対面の横堀社長に、ドリパケミニサイズで、OEMで、うちのR31スカイラインのレーシングカーの、ラジコンを作ってほしい!って直談判したことがあります(笑)その当時は、ラジコンのこと何も知らないので、そんなめちゃくちゃな話を持ち掛けるわけですが(笑)

 

当時、丁重にお断りをされたのですが、ラジコンメーカーになった今なので分かりますが、たかだか1000台のOEM。ヨコモというより、うちが採算が取れるわけがないので、うちのことを心配して頂いて、やめておいた方がいいって、言ってくれたんだと思います。←ラジコン作るの、めちゃお金かかるので(笑)

 

その時、横堀社長が実車でレーシングカーが作れるなら「自分でラジコンを作ってみたら?」って、アドバイスをしてくれました。

 

その当時、ラジコンは、ラジコンメーカーが作るもんだと思っていたので(笑)あまりにも、そのアドバイスが衝撃的すぎて、「え?ラジコンって作れるんか?」って、思ったんですが、そのアドバイスをそのままに、自分でラジコンを作ってみようと思い、ラジコン作りを始めました。

 

さっそく初代「GRK」を作り、それから「GRK2」が完成し、2年で2000台ぐらい売れました!(コウダイが最強で2連覇したのがでかいんですが!)

 

そこまでは個人でネット直販してたんですが、物量が増えたのと、全国のショップさんから「GRK」を取り扱いたいという声も頂いて、問屋流通にしましょうという流れから、ラジコンメーカーを立ち上げることになりました。

 

問屋流通をさせるなら、ちゃんとした「ラジコンメーカー」になりましょうということで、その後「日本ラジコン模型工業会」に加入して、正式に、ラジコンメーカーとなったわけですが、その時、日本ラジコン模型工業会に加入するときに、推薦をしてくれたのが、ヨコモの横堀社長と、ABCの多根井社長でした。(工業会に入るのに、会員2名の推薦がいるので)

 

その時も「あの時、横堀社長のアドバイスで、ラジコンを作ったら、ラジコンメーカーになれました!」って話をしたら、めちゃ喜んでくれて、快く推薦状を書いて頂いた記憶があります!

 

http://www.rc-jrm.com/

 

↑日本ラジコン模型工業会

 

その後、RTRが発売できるように、シャシだけでなく、プロポ、アンプ、モーター、サーボ、バッテリー、充電器などを自社で開発するようになり、GRKスタンダードを発売するタイミングで、RTRが出せる、ラジコン総合メーカーとなりました。

 

横堀社長との出会いから、約10年。

 

今、うちがラジコンメーカーでいられるのは、まさに、ヨコモの横堀社長の『神のお告げレベルのアドバイスのおかげ』でございます。もはやそれ以外の理由がないです。

 

谷田部アリーナを作るときに、オープン前にお伺いして、いろいろ施設を見せてくれたことや、うちのカレーライスの話をしたり(懐かしい)、ホビーショーでお会いした時、オートサロンでお会いした時、そしてたまに電話を頂いて、ラジコンの事、いろいろな話を聞かせて頂きました。

 

横堀社長は、こんな私に、ずーっと、やさしくしてくれてくれました。

 

そんな横堀社長が、この9月いっぱいをもって「勇退」されるということをお聞きしました。

 

私は、横堀社長には、感謝の言葉しかありません。

 

横堀社長のことですから、本当は、きっと、まだまだ大好きなラジコンをしたくて仕方ないと思いますが(笑)、勢いがある今、そして若くてしっかりしたスタッフが沢山育っているヨコモだからこそ、若手にバトンタッチして託すという決断が出来たと思いますが、次世代の育成まで含めて、最後の最後まで、ほんと凄い経営者であったと、改めて思います!!(^^)

 

18歳から、50年あまり、ラジコンにかけたその人生、ほんと長い事、お疲れ様でした!

 

好きなことをやりとげる人生!

 

まさに、理想的な生き方です!

 

ラジコンのことや、経営のこと、海外のレースのこと、いろいろなことを沢山教えて頂いて、本当にありがとうございました!

 

またいつかどこかでお会いした時は、いろいろお話できるとうれしいです!

 

ラジコン好きな人がもっと増え、業界が盛り上がっていけるように、業界に生きるものとして、精一杯がんばっていきますので、また遠くから見守って頂ければと思います!

 

R31HOUSE 代表 柴田達寛