前回のブログから、2か月ほどたってしまいましたが、「最後の砦マサダ」の第3弾をお送りいたします。
第1弾では、マサダの位置、歴史的なこと、遺跡の入り口までご紹介しました。
第2弾では、マサダの地形、遺跡に入ったところから貯水槽、謁見の間、ローマ式のお風呂、ヘロデ北の宮殿などをご案内しました。
今回の第3弾で、最終回になります。
北の宮殿から西の方へ向かって行くと、少し狭い区画があります。
ここは、「くじの部屋」と言われています。この部屋から人の名前を書いた陶器の破片が10個、見つかりました。
この「くじ」については、後ほどご紹介します。
くじの部屋からさらに西側に向かって行くと、シナゴーグがあります。
このシナゴーグで、マサダの運命を決定づける出来事がありました。
エルサレム崩壊後の紀元70年から3年間、967人のユダヤ人がマサダに立てこもりました。
ローマはマサダの周りにいくつもの陣営を築き、攻略に当たりますが、天然の要害であったため、簡単には落とせず苦戦していました。
そこで、マサダの中で一番高低差が少なかった西側の斜面に目をつけ、長い時間をかけて土を盛ってスロープを完成させました。
西側のスロープを上から見たところ 右上の方にローマ軍陣営の跡があるのがわかる
マサダの上から見ていたユダヤ人は、スロープが完成しローマ軍が陣営に戻っていくのを見て、明日にはこのスロープを使い突入してきて、自分たちが捕らえられて捕虜とされることを予想したのでしょう。
その晩のことでした。
マサダに立てこもったユダヤ人のリーダー、エレアザル・ベンヤイールは、シナゴーグに男たちを集め、以下のように語りかけました。
「勇気ある戦士諸君、われわれはかつてローマ人にも神以外のいかなる者にも、奴隷として使えないと決心した。神だけが人間を支配される誠の正しい主であられるからだ。今や、われわれの高邁な精神の神髄を行動で証しする時が来た。(中略)
明日の朝になれば、われわれは間違いなく捕虜になる。しかし今、高貴な死を同志とともにおのれの手で選びとることが許されている。(中略)
同志諸君! われわれの妻が凌辱される前に、子が奴隷の身を経験する前に、彼らを死なせようではないか。そしてわれわれも彼らの後を追い、自由こそを埋葬用の高貴な包み布とし、あの尊い恵みに互いにあずかろうではないか。
しかし、そうする前にまずわれわれの財産と要塞とを焼き尽くそう。(中略)だが、食糧だけはそのままにしておこう。そうすればわれわれが死んだ後も、決してわれわれが食糧不足で屈したのではなく、最初の決意通り、奴隷になるよりも死を選んだと証ししてくれるからである。」(ヨセフス・フラウィウス著 ユダヤ戦記より)
こうして、ローマの手にマサダが落ちても、凌辱され奴隷になるようなことが無いように、自由を得ようと男たちは愛する家族をその手にかけていきます。
その後、先ほどのくじの部屋で10人の男を選びました。
その10人が残った人たちを次々とその手にかけていきました。この10人の中で最後の1人をえらび、その1人が9人を殺します。
ユダヤ教では、神様に創造された生命を自らの手で落とすことは最大のタブーとされていましたので、自害するのはその最後の1人だけでした。
破城槌(wikipediaより)
夜が明け今日で決戦と、シルバ将軍率いるローマ軍は武装し、移動式の破城槌をスロープを使って登っていきました。
城壁のそばまで来たローマ軍は、破城槌を使い城壁を崩しマサダに突入しましたが、3年の間ローマ軍に抵抗していたユダヤ人からの攻撃がありません。不思議に思い、マサダの中を見回すと、宮殿が燃え、倉庫には食料が山積みになっていて、皆、死んでいてました。そして静寂がこのマサダを覆っていたといいます。
全員が自決の道を選んだのに、なぜエレアザルの語りかけや内部の様子が、このように詳しく残されていたかというと、2人の女性と5人の子どもが貯水槽に隠れていて生き残ったためです。
ローマ軍が攻め入ったときに、貯水槽から出てきてどんなことがあったのかを話したために、今の時代にもマサダでの出来事が語り伝えられているわけです。
こうして、エルサレムが崩壊した後、3年間抵抗したマサダも陥落し、イスラエルはローマとの戦いに敗れたのでした。
マサダが陥落したことでイスラエルは1900年に及ぶディアスポラ(離散)することが始まりました。まさに「最後の砦」だったのです。
そのためイスラエルでは、二度とマサダを落とさせない! が合言葉になっているくらいです。
あるツアーでマサダを訪れた時、遺跡の真ん中あたりでイスラエルの国防軍の兵士がたくさんいました。
何か式典のような感じなこと、兵士の来ている軍服が新しいこと、肩にまだ階級の旗がついていないこと、そして銃が積み上げられていたことなどから、これから入隊式が行われるのだなとわかりました。
イスラエルは国民徴兵制で男女ともに高校を卒業すると兵役につきます。
その軍隊の入隊式は、基地でも行われますが、ここマサダやエルサレムの嘆きの壁の前、初代首相だったベングリオンの墓の前でもでも行われます。
入隊式では、国を守るための銃と一緒に旧約聖書が一人ひとりに渡されます。
国を守る任務に就く兵士の入隊式が、歴史的に意義のある場所で行われるのだなぁ、と感動したことを覚えています。
イスラエルに留学をしていた20代前半のころ、ヘブライ語を勉強していた語学学校の授業の一環で、このマサダを初めて訪れました。
早朝、日の出前に歩いて登り始め、マサダの上で朝日を見て遺跡を見学しました。ユダヤ人にとって大事な歴史の場所ですので、ガイドがヘブライ語で熱を込めて一か所一か所で案内をしてくれました。
聞いている私もその熱に引き込まれて見学し、終わったのは昼前でした。およそ6時間近く、マサダの見学をしていました。
通常のツアーでは1時間ちょっとの案内ですので、6時間もいることはありませんが、ユダヤ人の歴史と国への思いを垣間見ることができる訪問になることは間違いありません。
ぜひ、ご一緒にマサダを訪れてみませんか。