11月26日のブログの続きで、今回は実際にマサダの遺跡の中をご案内していきたいと思います。
前回でロープウェイに乗ってしまいましたが、乗り場のあるビジターセンターには、マサダ全体の模型があります。
下の写真をご覧いただくと、周りの地形とマサダだけ周辺の岩山から独立していることがわかりますね。
横方向が南北で約600m、縦方向が東西で約300mの大きさになります。
頂上に行ってしまうと、全体像が分かりませんので、模型を見ていただいて、こんな感じなんだとわかってから登っていただいています。
ロープウェイ乗り場の前には、マサダの発掘とローマ軍との戦いの様子を映像で見せてくれますが、残念ながら日本語はありませんので、大体英語を見ます。
実際の映像は、イスラエルに行った時のお楽しみにしていただき、ロープウェイに乗って頂上へ向かい、マサダの遺跡見学スタートです。
ロープウエイを降りると写真のような橋の上を通り、2000年前にも利用されていた東側の門から遺跡に入り、まず北側に向かいます。
北側に向かって緩やかな斜面になっていますが、最初に目に入ってくるのが、この大きな穴です。
貯水槽です。
周辺の城壁や建物を作るために採石した後、貯水槽として利用しました。漆喰を塗っているのでそれとわかります。
こういった貯水槽が頂上に4つあり、周囲や中腹には12の貯水槽があります。
荒野の中にあるマサダですので、こんな貯水槽があっても水があったのだろうかと思ってしまいますが、ここを堅固な要塞としたヘロデ大王は、自分がここを利用するときに、「水」が不可欠であると知っていて、ちゃんと水を確保できるようにしていました。
マサダ周辺には、雨はあまり振らず、年間の降水量が100mmほどと言われますので、日本では考えれない乾燥地域です。周りの岩山にも水路を張り巡らし、マサダだけでなく、周辺に降った雨を余すことなくマサダに集め、貯水槽に流れ込むようにしていました。
この貯水槽を見ながらさらに進むと、「謁見の間」があります。
マサダの土壌は石灰岩の塊で、上の貯水槽の写真でわかるように、白い岩山です。
自己顕示欲の強かったヘロデ大王は、この石灰岩で柱を作り、漆喰を塗り、表面を滑らかに磨き上げ、大理石のように見せかけました。
また、建物はマッサダの敷地内から掘り出された石灰石のブロックを積み上げて壁としましたが、その上に漆喰を幾重にも塗り、その上から模様を描いたフレスコ画で美しく飾りました。
続けて歩いていくと、以下の写真の部屋に入ります。
真ん中の通路のように見えるところは、実は当時は細長い部屋で、この食糧倉庫はいくつもあり、ローマ軍がこのマサダを陥落させたとき、この食糧倉庫には食糧がたくさん蓄えられていたそうです。
貯水槽があり、また食糧倉庫にもたくわえがありましたので、マサダは食べ物や飲み物がなかったわけではありませんでした。
エルサレム陥落後、3年間、ここで生活できていたわけですし、その後も飢えることなく生きていくだけの食料は確保していました。
マサダにはローマ式のお風呂もありました。
左上の窓のようなところで火を焚き、熱い空気を床下に流します。
また壁にはパイプを張り巡らし、熱い空気で部屋全体を温め、熱された部屋に水を撒いてスチームサウナにしました。
ヘロデ大王がマサダに来たかどうかは、記録がなくわかりませんので、このサウナを使ったどうかは不明ですが、火をたいた跡が残っていますので、誰かが使ったことがありそうです。
木もあまり生えない荒野でしたが、死海ではアスファルトが取れましたので、アスファルトを原料として燃やしたとされています。
ここに立てこもったユダヤ人たちは、ローマ式のお風呂は使わなかったと思われますので、使われたとしても、ユダヤ人が立てこもる前の短い期間だったことでしょう。
床は柱で支えられていて、床全体が暖められるように工夫されていました。
また壁には、中が空洞になったレンガをパイプのようにして温めた空気通して、部屋全体を温めました。
天井はアーチ形になっていて、湯気が冷やされて水になっても壁を伝って床まで落ちてきて、また温められるようになっていました。
こんな荒野の中でもサウナとはいえ、お風呂まで完備されていたとは驚きです。
ご一緒したお客様の中に、ここサウナでガイドさんの説明を熱心に聞かれている方がおられ、「こんな歴史のあるサウナに入ってみたい!」と言われたので、お聞きするとサウナ大好きな方で、日本ではもちろん、海外旅行に行ってもサウナがあると必ず入られる方でした。
そんな方の一言だったのでとても印象的な一言でした。
このサウナを抜けるとマサダの最北端にある「北の宮殿」です。
別の角度から見るとこんな感じです。
夏の暑い日にマサダを見学すると、太陽が強烈で、気温は軽く40℃を超えるので日陰に入りたくなります。
そんな暑い時でもこの北の宮殿に来ると、屋根のある展望台があって、そこは吹いてくる風が心地よく過ぎすことができ、ここの部屋には太陽光線が入ってこないようになっています。
ヘロデ大王は、こんなところもちゃんと計算して、北側に宮殿を建てたのですね。
この宮殿、実は三段で構成されていて、階段で行き来できるようになっています。
ツアーでご案内するときには、階段を降りた後、再び、登ってこないといけないですし、時間もかかってしまうので、行くことは少ないのですが、実際に降ってみると、当時は階段が壁で隠されていたことが分かり、人の上り下りは外側からは見えないように作られていました。
こんなところにもヘロデの臆病さが表れているような気がします。
模型で見るとどんな感じの宮殿だったのかよくわかりますね。
マサダにはあちこちに模型が置いてあって、ドローンでもないと確認できないところまで知ることができます。
ちなみにマサダはドローン禁止です。
皆さん、ご使用になられませぬように。
涼しいので、もう少し北の宮殿にいたいところですが、そろそろこのマサダの遺跡のクライマックスのところへ向かいたいと思います。
この続きは、最後の砦マサダ③でご案内させていただきたいと思います。
To be continued...