今日は語呂合わせで
ろうご「老後」の日
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そういえばかつて『老後の資金がありません!』って映画が公開されてましたが…
てまりこども園のこどもたちは生まれてまだ間もないので老後のことなんかまったく考えていない
そもそも「老後」という言葉も知らない
知らなくていい
老後を考えなければならないのはこどもたちの両親世代ではなく、さらにその上
園長せんせー世代でしょうね
立派な老後を過ごしているはずなのが
当園の理事長先生世代
この世代の方々はと~っても元気
つい先日も理事長先生が
「私の老後をどう考えてくれてるんだ!」と園長せんせーを一喝
「もう十分老後ですやん!!」
「人に考えてもらうんじゃなくって自分で考えてください!」「自分はどうしたいの?」
園長せんせーが応戦
どいつもこいつも というべきか(笑)
こんな老人たちの会話をこっそり横で聞きながら
口論するのも認知症予防にはちょうどいいかも
なーんて思いながら、ニヤニヤしているのがてまりちゃん世代なのであ~る
「お~いお茶」
そんな風にいえば誰かがお茶を持ってきてくれるのがアタリマエだと思う世代は、もうこれからの世の中では生きてはいけない
若い世代に「老害」と言われることのないように自分のことは自分でやる ←これがアタリマエ
それぞれの人たちの「老後」
どうか世の中が平和であってほしいと願うばかりだが、
願うしかないのだろうか?
【追記】
昨日6月4日は天安門事件から35年の節目でした
北京で民主化を求める学生運動が武力制圧され、多くの死者が出た事件
知っている人が激減しているという事実
歴史からは消されつつあるかのようなこの事件はいったい何だったのか?
学生時代、1988年(天安門事件の前年)に北京に一週間滞在し、社会人になってからは2009年から2014年まで駐在、
2012年には暴動略奪被害にも遭遇したという異色の経歴を持つ当園の園長せんせーですら、昨日は事件のことを忘れてしまっていたとのこと
「実は事態はなんの改善もなされていない」と言う園長せんせー
極々少数のならず者のせいで、大多数の善良なる市民国民が同じように悪く思われてしまう一方で、ならず者に影響をうけてしまう恥ずかしい輩(やから)も存在してしまうから困ったものだ
人間が腐ってしまわない為に
「教育」はやはりキーワードになるのかもなぁ
私たちは歴史から何を学び、何を思うべきなのか?
「人間は愚かな生き物である」
逆境を体験したからこそだろうか?
そんな風に言う園長せんせーの言葉が身にしみる