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temaibu21(いぶき)

うつ闘病記。
みなさんに僕と同じような辛さを経験してほしくありません。
みなさんが笑顔で過ごせるよう、僕の経験を伝えていきます。

※読んでいて具合が悪くなるようでしたら、途中で読むのをお止めください。

 

前回、卒業式でできた心の隙間を埋めるために自暴自棄となったこと、そして、好きな人ができてしまったことに対する心の葛藤から死を考えたことをお話ししました。

時間をかけながらも徐々に回復してきたところ、この2つの出来事でまたどん底に落とされました。

 

それを救ってくれたのが、弟でした。正確に言えば、弟の結婚式です。

 

僕がそんなどん底の状態にいる中、弟の結婚式がありました。

正直人前には出たくなかったのですが、弟の大切な1日ですから、兄として具合が悪くても何とか参列したい思いでした。

 

そして迎えた結婚式。

チャペルでの結婚式を見ていたら、それまでの僕の迷いが一気に晴れる思いがしました。

自暴自棄になっている自分。妻がいながら好きな人がいる自分。

そんな自分の目の前で永遠の愛を誓う弟夫婦を見て、改めて「妻のことを大切にしたい」と思いました。

そして、そのためにも、「もっと自分を大切にしていかなければいけない」と思いました。

 

本当にその日からです。一切の希死念慮がなくなりました。

体調も順調に回復しました。

 

しかし、医師からは、「順調に回復していたところ、卒業式をきっかけに気持ちが一気に沈んでしまった。またそうなるとも限らないので、少なくとも2-3ヶ月は様子をみましょう。」と言われました。

 

そして、その2-3ヶ月、大きな気持ちの落ち込みはありませんでした。

むしろ、僕がこんな状態になりながらもずっと支えてくれた家族、応援してくれたネット上の友人、そして、ずっと待っていてくれた学校、様々な人たちに支えられていることを実感し、自分がいかに幸せなのかを再認識する期間となりました。

 

そして、医師から、ついに復職可の判断をいただきました。

その後は学校との打ち合わせを重ね、明日からの復職が決まりました。

 

今は不安よりも楽しみな気持ちです。

 

「病気から学んだこと」、「周りへの感謝の気持ち」、そして何より「自分を大切にする気持ち」を大切に、明日から新たな人生をスタートさせたいと思います。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

※読んでいて具合が悪くなるようでしたら、途中で読むのをお止めください。

 

卒業式を終え、心に大きな穴が開いた感じが続きました。寂しい、切ない、悔しい、辛い・・・。何とも形容しがたい感情です。

そんな心の隙間を埋めたくて、自暴自棄となる日々が続きました。下らないものを大量買いしたり、訳もなく東京へ行って憂さ晴らしをしたり、少しずつ体調が回復し、それに伴って身体の中に溜まってきたエネルギーを全部外へと放出する行為。そんな感じでした。

一瞬の気晴らしにはなりますが、当然ながらそれで心の隙間が埋まるわけではありませんでした。

 

そんな時、恋をしました。元からの知り合いではありますが、恋してはいけない相手にです。僕は結婚していますし、尚更のこと許される恋愛ではありません。

僕はその子を幸せにしてあげることはできません。僕の心の隙間を埋めるだけのために、その子と付き合うわけにはいきません。

恋したこと自体、当時の僕にとって、本当に本当に苦しい葛藤でした。

(告白も、お付き合いもしていません。)

 

それで、「死」を選ぶことを決断しました。

 

真夜中、1人国道へ行き、飛び出せるタイミングを見計らって、長いこと車の往来を眺めていました。

しかし、行ったところがちょうど交差点だったこともあり、減速する車が多く、これで飛び出しても怪我をする程度だなと思い、違う方法を取ることにしました。

 

家に戻り、体力向上のためにはじめようと購入していた縄跳びを取り出し、自分の首に巻きました。

グッと体重を掛けて、「これなら死ねる」と思いました。

後はタイミングの問題です。

真っ正面には鏡がありました。首を吊る自分の姿を見ながら、「ここまでよく頑張ってきたね。」と、そんな声をかけた気がします。

 

そして、「死のう」と思ったまさにその瞬間、母親の顔が目に浮かびました。

母との約束。「いつか孫の姿を見せるね。」

 

死にたい気持ちを泣きながら堪え、首に巻いた縄跳びをほどきました。

それからしばらく泣き続けました。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この続きはNo.5でお話しします。

 

 

※読んでいて具合が悪くなるようでしたら、途中で読むのをお止めください。

 

僕の慕う先生(立場上、上司)にまず卒業式へ参加したいことをお話ししたら、とても前向きな返事をいただきました。それで、「もしかしたら卒業式に生徒たちに会えるかもしれない?」という期待が僕の中で膨らみ、その日から卒業式を具体的にイメージしはじめました。この生徒にはこんな言葉をかけようとか、そんなことです。また、生徒全員へ手作りのプレゼントも用意しました。卒業式のことを考え、具体的に卒業式へ向けた準備を進める時間は楽しいものでした。

 

それが前日になって、学校側から「生徒には会わせられない」という返答をいただきました。

今は冷静にこの判断のプロセスや判断の妥当性を認識できますが、当時の僕には「生徒に会えない」という決定事項があまりにも辛く、重いものでした。

それで、学年主任には、「いろいろと僕のことを配慮しての決定だと思います。お忙しいなか、僕のために時間を割いていただきありがとうございました。本当に感謝しています。しかし、生徒に会えないのであれば、卒業式には行きません。」といった旨の連絡をしました。

 

その日の夜、学年主任と直接会うことになりました。夜の誰もいなくなった職員室で、学年主任と2人きりで話をしました。

いろいろなことを話しました。僕が休んでいる間の学校での出来事。最近の生徒たちの様子。そして、3年間の思い出など。一緒に、学年主任が撮り溜めた3年間の生徒たちの写真を見たりもしました。2人で笑い合いながら、3年間(僕にとっては2年半)の思い出を語り合いました。

 

学年主任が「何かあったら全部俺が責任を取るから、卒業式に来な。そして、直接会えないにしても、会場に先生の席を用意しておくから、そこからクラスの生徒たちの晴れの姿をみ見てほしい。きっと、先生の区切りにもなると思う。」と仰ってくださいました。

僕は曖昧な返事をしましたが、それでも別れ際に、「病気にはなってしまいましたが、先生の学年で2年半過ごせてよかったです。先生が学年主任でよかったです。」と握手を交わしました。お互い目には涙が浮かんでいました。

 

そして迎えた卒業式。僕は「行く」という選択をしました。

生徒と保護者の目に入ることがないよう、式の途中からこっそり会場に入りました。そこには僕の席が用意されていました。凜とした空気の中、久しぶりにクラスの生徒たちと同じ空間にいれることを嬉しく思いながら、生徒たちの成長した姿に目を細めました。

 

しかし、です。3学年の先生たちの席に目をやった途端、「何で俺はあそこにいないんだろう。何で俺はあそこにいれなかったんだろう。」と、自分が病気で倒れてしまったこと、最後まで生徒たちの面倒を見切れなかったことを本当に悔しく思いました。悔しくて悔しくて、拳を握りしめ、声を押し殺して泣きました。

 

そして、生徒と保護者の目に入ることがないよう、式の途中で会場を後にしました。

それが、僕の卒業式でした。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この続きはNo.4でお話しします。