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temaibu21(いぶき)

うつ闘病記。
みなさんに僕と同じような辛さを経験してほしくありません。
みなさんが笑顔で過ごせるよう、僕の経験を伝えていきます。

※もし読んでいて具合が悪くなるようでしたら、途中で読むのをおやめください。

 

 

当時、僕は3学年の担任をしておりました。

休職に入った時期は秋。

出願の手続きなど、3学年の担任にとっては1番忙しい時期です。

 

いま思えば、その時はすでにうつ病はかなり悪化していました。

しかし、「生徒の進路を叶えなければ」という思いが勝り、自分の体調など二の次、三の次の状態でした。

寧ろ、うつ病のせいとはいえ、思い通りに仕事ができない自分を責めてばかりいました。

 

僕はもともと遅くまで仕事をする人間でした。

その日の仕事はきっちりその日に終わらせたいので、基本的には7時~21時頃までクラス関係や事務的な仕事をして、土日にまとめて1週間分の授業準備をするというスタイルで仕事をしていました。

それもそれでキツかったのですが、何とかこのルーティーンでやっていました。

 

このリズム大きく崩れたのが、夏休み明けです。

いよいよ進路活動が本格化し、日々プレッシャーに苛まれました。

もともと心配性だったので、そのプレッシャーたるや、相当なものでした。

「万が一でも僕のミスで生徒の進路に影響が出てはいけない」と、何度も何度も大学の募集要項を読み直しました。

ふとした何気ないタイミングで、「○○(生徒)の出願書類はいつまで提出だ?」と心配になり、同じ生徒の受験大学の募集要項を何度も何度も読み返しました。

そんなこんなで、出願の手続きのことばかり考えてしまって、仕事が手につかなくなりました。

 

家に帰っても、進路のことが頭から離れません。

「何時何時まで○○の出願書類を書き終えなければ」とか、「明日は○○の書いてきた書類の添削をしてあげなければいけない」とか、「そうだ!○○の出願も近づいてきている。出願書類を取り寄せたか確認しなければ」といったように、毎晩、翌日の「~しなければならない」を考え、不安、いや、恐怖を感じながら眠りについていました。

 

当然、そんな精神状態が続けば、心は全く休まらず、精神的にどんどん追い詰められていきました。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

続きのNo.2は明日の更新予定です。

 

昨日の記事で、仕事で無理をしすぎ、妻のケアで心休まらず、ついにうつ病になってしまったところまでお話しました。

 

うつ病と診断されましたが、その後も処方された薬を飲みながら仕事を続けました。

その頃には妻の体調も少しずつ安定してきていたので、仕事に集中していけば大丈夫だろうと判断しました。

(いま思えば、ここで管理職に相談すべきだったのかもしれませんが・・・。)

 

心身共に疲れ果てながらも、何とか担任1年目を乗り切り、そのまま2学年の担任へと持ち上がりました。

 

4月。2学年から3学年へかけてのクラス替え、担任の変更はありませんので、このクラスを卒業まで支えていくんだと強く決意したのを覚えています。1学年のとき同様、授業にも力を注ぎましたし、生徒1人1人を大切にしていきました。特にクラス替えによる人間関係のトラブルも発生しますので、こまめに生徒と面談したり、保護者と連絡を取り合ったりしました。

 

2学年最大のイベントは修学旅行です。初めての経験ですし、うつ病のせいもあってかなり不安でしたが、何とか乗り切ることができました。

 

しかし、1学年のときと同様、このあたりからまた体調不良が続くようになりました。1週間ほど仕事を休んでしまった時もありました。それでも、クラス担任としての責任、そして生徒に対する想いが、僕を仕事に駆り立てました。言い過ぎかもしれませんが、「自分の体調など、二の次、三の次。生徒のためにならいくらでも自分を犠牲にしよう。」当時はそんな思いでした。

 

新年度、クラスをそのまま持ち上がるかたちで3学年の担任となりました。

ここまで一緒に過ごした生徒たちですから、この頃にはしっかりとした信頼関係も築けていて、進路へ向けて深い話などもしながら、1人1人に進路へ向けたアドバイスを送っていました。

しかし、他のクラスの担任の先生を見ていると、自分が取り残されているような気がしました。早い段階から調査書の作成を進める先生。一通り生徒との面談を終え、ほぼ全員の受験先を確定させた先生・・・。

進路情報(受験大学もそうですが、校内手続きのプロセスなど)について1から調べていかなければならない僕は、ただでさえ仕事に時間がかかります。それを集中力でカバーしていましたが、やはり周りを見るとどうしても焦ってしまいました。

 

そして、遂には、「自分がこのクラスの担任でなければ、生徒の力をもっと伸ばせるのではないか。もっと的確な進路アドバイスをできるのではないか。」と思うようになってしまいました。

「万が一でも出願書類に不備があって、生徒の受験に影響があってはならない」という強迫観念もさらに僕を追い詰めていきました。

 

ここから先の話は「①休職に入った時期の状況」に続きます。

掲載順が前後しておりますが、時系列に並べますと、②→③→①の順となります。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

奇しくも今日、同じような事が起こってしまったわけですが・・・。

 

 

前回、次年度に1番上のレベルの進学コース(以下、進学コースとします)の担任を命じられたところまでお話しました。

 

それとほぼ同時期、大学時代から付き合っていた彼女と入籍しました。

3月の学校は春休みですが、次年度の準備で忙しい時期でもあります。次年度の準備を進めながら、妻と引っ越し先を探し、引っ越しをし、新年度が始まるのと同時くらいのタイミングで一緒に住み始めました。

 

しかし、一緒に住み始めて数日、妻がパニック障害になってしまいました。環境の変化によるものでした。

僕が仕事に行こうとすると、それが不安で耐えきれない様子で、泣きじゃくっていました。

そんな妻を1人家に残して仕事に行くのは本当に心苦しかったのですが、初めての担任、ましてや進学コースの担任ですから、当時の僕に「仕事を休む」という選択肢はありませんでした。

 

進学コースですから、保護者の目も厳しいものが予想されましたので、新入生を迎えるに当たっての準備も細部まで気を遣いました。そのため、連日帰りは深夜となりました。妻を1人にしておく申し訳なさを感じながらも、仕事の手を抜くことはできませんでした。

 

そして迎えた入学式。緊張はしましたが、「3年間、この生徒たちと全力で向き合い、彼らの力になっていくんだ!」と決意を固めました。

 

入学式後も残業の毎日でした。途中妻に電話をして様子を聞いたり励ましたりしながら、それでも仕事には妥協せず、日々を過ごしました。もっと妻のために力になれればと思いつつも、仕事に関しては一切の妥協もしない。それが進学コースの担任の勤めと思っていました。

進学コースですから、授業の準備にはこれまで以上に力を入れましたし、初の担任ですから、生徒や保護者とのコミュニケーションを大切にしました。もちろん至らない点が多かったことでしょうが、自分なりに精一杯過ごす日々でした。

 

しかし、当然ながら、それはあまりにも負荷が大きすぎました。担任として、授業担当者として、「進学コース」ということを意識するあまり、無理を重ねていました。そして、家に帰れば妻の心のケアで(妻のせいにはしたくありませんが)、自分の心の安まる時間がありませんでした。

 

そして、夏休み前あたりから体調を崩すことが多くなり、不安に襲われる日々・・・。

寝ても覚めても頭の中は仕事のことばかり・・・。

さすがに自分の様子がおかしいと思い精神科を受診したところ、「うつ病」と診断されました。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

続きはNo.3で。