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temaibu21(いぶき)

うつ闘病記。
みなさんに僕と同じような辛さを経験してほしくありません。
みなさんが笑顔で過ごせるよう、僕の経験を伝えていきます。

※もし読んでいて具合が悪くなるようでしたら、途中で読むのをおやめください。
 

 

昨日はついに限界がきてしまい、恐怖から震えと涙が止まらず、布団から出られなくなってしまうところまでお話しました。

 

その日は朝の5時頃に目が覚めました。それと同時に、これからの仕事のイメージが一気に頭の中に入り込んできました。

授業、模試対策、面談、調査書、推薦書、出願締切、採点、成績処理、会議資料作成、会計管理・・・etc.

そうしたら、頭全体が恐怖に支配され、全身が震え出しました。怖くて怖くて、仕方がなくなりました。

それでも、「仕事へ行かなきゃ!」と、ある種の脅迫観念に駆られていました。

 

しかし、あまりの怖さに、まだ就寝中の妻を大声で呼び、部屋に来て貰いました。そして、30分ほどでしょうか。震える手をずっと握ってもらいました。その間、ずっと涙が止まりませんでした。

2人で話して、「今日仕事に行くことは無理だから、病院へ行こう。」ということになりました。

 

教員という仕事は(他の仕事もそうだと思いますが)、なかなか休みの取りづらい環境にあります。

誰かが休めば、代わりにクラスの面倒を見たり、代わりに授業をしたり、自分の仕事でいっぱいいっぱいの状況で、他の誰かの仕事までしなければいけない苦しい状況を知っているので、僕は休むことに大きな負い目を感じていました。それでも、この日は「休む」という決断をしました。

 

「休む」という決断ができたとき、少しだけ気持ちが楽になりました。

 

もう1度眠りにつき、10時頃、病院へ行きました。

医師から、「しばらく仕事のことは忘れてゆっくりした方がよい。」と、一ヶ月の休職診断書を発行していただきました。

すぐに学校へ連絡しましたが、そのときはこの大事な時期に1ヶ月も仕事を休んでしまうことに対する罪悪感でいっぱいでした。

しかし、2週間もすれば元気になって、また学校に行けるのではないかという希望も持っていました。

 

ここまで来て初めて話しますが、クラスの生徒たちは、僕にとって初めてクラス担任をして、そのまま持ち上がってきた生徒たちでした。

緊張の入学式から2年半。自分のことなど二の次、三の次にして、(大袈裟かもしれませんが)命を賭けて面倒を見てきた生徒たちです。

早く学校へ戻って、生徒たちの力になりたいと、身も心もボロボロの状態でも、その思いは揺るぎませんでした。

 

しかし、後から知ったことですが、僕の休職を受け、その日のうちに担任の変更が決定。(3学年の大事な時期ですから、当然のことでしょう。)

仮に僕が学校へ戻れたとしても、初めてのクラス、2年半自分を犠牲にしてまで全力で接してきた生徒たちを卒業させるという僕の夢は、この瞬間、崩れ去ってしまったのです。

 
 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次の「②教員になるまでの経緯」は明日の更新予定です。

 
 

 

※もし読んでいて具合が悪くなるようでしたら、途中で読むのをおやめください。

 

 

昨日はうつ病のせいで仕事が捗らない自分を自分で責めてしまい、更に精神的に追い詰めてしまっていく状況まで記しました。

 

 

そして、ついに限界が来ました。

 

その日は休日でしたが、平日に仕事ができない分(15時には疲れ切ってしまう。家に帰ってすぐ寝てしまう。起きても体調が良くならない。)、溜まりに溜まった仕事をしようと、朝から学校で仕事をしていました。

それでも、平日同様、思うように集中できません。

「今日進めておかないと、本当に苦しくなるぞ!」と自らにプレッシャーをかけても、身体も心も言うことを聞きません。

 

15分も書類作成を進めていると完全に集中力が切れてしまい、気持ちを入れ替えて、戻ったら一気に進めようと、何度もタバコを吸いに行きました。

喫煙所は外にあるのですが、すぐ近くに道路が面しています。

僕は喫煙所で車の往来を見ながら、「今こちらに進んでくる車が道を外して、僕のことを轢き殺してくれないかな。」と本気で願いました。「思いました」ではなく、「願いました」です。いっその事、自分から道路に飛び出そうかとも思いました。

先にこの日は何度もタバコを吸いにいったと書きましたが、タバコを吸いに行く度にそう思いました。

 

思えば、自らの死を願ったのは、この時が初めてではありません。

この2~3週間前から、毎晩、「寝ている間に心臓が止まって、明日の朝死んでいますように。」と願って眠りについていました。

 

タバコを吸ったところで、急にやる気がみなぎり、仕事が一気に進むわけもありません。

またすぐに集中が切れ、タバコを吸いに行くの繰り返しです。

気づいた時には、僕は書類作成を進めながら、大粒の涙を流していました。

涙を拭いながら、生徒一人一人の調査書を作成していたのです。

生徒に対する思い入れからではありません。苦しかったからです。辛かったからです。

 

16時頃でしょうか。再び喫煙所に行きました。本当に苦しくて、辛くて、自分の胸をギュッと掴み、思いっきり力を入れ、心臓を止めようとしました。

当然、それで心臓が止まるわけはありません。

そうと分かると、「今度こそ!」と、道路に飛び出そうかと思いました。

 

そんな自分の様子にはっとしました。

「こんな精神状態で、仕事ができるわけがない。」

「今日はゆっくり休んで、ちゃんと体調を整えて、また明日から頑張ろう。」

(繰り返し申し上げている通り、家で休んだからといって全く体調は回復しないのに、ゆっくり休めば明日は元気になるのではないかと、多少の希望を抱いていました。)

 

しかし、翌朝、僕はこれまでになり不安、いや、恐怖から、全身の震えが止まらず、泣きじゃくり、布団から出ることすらできなくなるのでした。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

続きのNo.4は明日の更新予定です。

 

 

昨日はブログを開設してから最大のアクセス数がありました。

もちろん、閲覧数やいいね!の数を求めているわけではありませんが、たくさんの方に僕の思いを伝え、それが少しでも何かの役に立てば嬉しい限りです。

これからもよろしくお願いします。

 

 

※もし読んでいて具合が悪くなるようでしたら、途中で読むのをおやめください。

 

 

さて、昨日は出願書類のプレッシャーなどで精神的に追い詰められていく状況まで記しました。

 

当然、教員の仕事はこれだけではありません。

こういう忙しい時期にあっても、やはり1番は授業です。

平日はなかなか授業の準備をする時間がないので、僕は土日にまとめて授業の準備をします。

授業は1時間1時間が勝負だと思っていたので、1コマの授業にかける準備時間は少ないもので30分、多いもので2時間ほどでした。

そして、心配性な性格なので、どんなに準備をしても、授業前はいつも不安でした。

もう数え切れないほど授業をしてきていますし、授業自体への怖さはありません。

それでも、授業前になると、「準備に抜けはないだろうか?」と不安になり、何回か授業の流れや準備物を確認してから授業へ向かっていました。

小さなことですが、これもストレスでした。

 

問題は、教員の一番の仕事である授業と、当時の僕にとって最優先事項である出願書類の作成の両立が徐々に難しくなっていったことです。

 

うつ病の症状は多々ありますが、この時僕にとって大きな障害となったのは、「疲れやすい」ことと、「集中力が持たない」ことでした。

これまで7-21時まで仕事できていたものが、15時くらいになると既にぐったりです。

授業が一段落して、やっと出願書類の作成を進められるというタイミングなのに、もう頑張る体力がありません。

何とか気力を振り絞って書類作成を進めてみても、全く集中できません。

15分も経たないうちに、気分転換といってネットサーフィンを始めてしまっていました。

 

そして、「今日はもうダメだ。今日は早く休んで、その分、明日一気に頑張ろう」と、忙しい時期にも関わらず17時に退勤、そして家に着くやいなや、ご飯も食べずに翌朝まで10時間以上寝るというような日々が続きました。

 

それでも、翌日になったからといって症状が改善することはありません。

またすぐ疲れ、集中できず、仕事がたまっていく一方・・・。

今思えばこれは自分で自分の首を絞めてしまったことなのですが、病気のせいとはいえ、大事な時期に仕事ができない自分を死ぬほど責めました。

「やらなきゃいけないのに、全くできていない。自分はなんてダメな人間なんだ・・・」と、自分を責めて責めて責めて、更に自分を追い詰めていきました。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

続きのNo.3は明日の更新予定です。