昨日はついに限界がきてしまい、恐怖から震えと涙が止まらず、布団から出られなくなってしまうところまでお話しました。
その日は朝の5時頃に目が覚めました。それと同時に、これからの仕事のイメージが一気に頭の中に入り込んできました。
授業、模試対策、面談、調査書、推薦書、出願締切、採点、成績処理、会議資料作成、会計管理・・・etc.
そうしたら、頭全体が恐怖に支配され、全身が震え出しました。怖くて怖くて、仕方がなくなりました。
それでも、「仕事へ行かなきゃ!」と、ある種の脅迫観念に駆られていました。
しかし、あまりの怖さに、まだ就寝中の妻を大声で呼び、部屋に来て貰いました。そして、30分ほどでしょうか。震える手をずっと握ってもらいました。その間、ずっと涙が止まりませんでした。
2人で話して、「今日仕事に行くことは無理だから、病院へ行こう。」ということになりました。
教員という仕事は(他の仕事もそうだと思いますが)、なかなか休みの取りづらい環境にあります。
誰かが休めば、代わりにクラスの面倒を見たり、代わりに授業をしたり、自分の仕事でいっぱいいっぱいの状況で、他の誰かの仕事までしなければいけない苦しい状況を知っているので、僕は休むことに大きな負い目を感じていました。それでも、この日は「休む」という決断をしました。
「休む」という決断ができたとき、少しだけ気持ちが楽になりました。
もう1度眠りにつき、10時頃、病院へ行きました。
医師から、「しばらく仕事のことは忘れてゆっくりした方がよい。」と、一ヶ月の休職診断書を発行していただきました。
すぐに学校へ連絡しましたが、そのときはこの大事な時期に1ヶ月も仕事を休んでしまうことに対する罪悪感でいっぱいでした。
しかし、2週間もすれば元気になって、また学校に行けるのではないかという希望も持っていました。
ここまで来て初めて話しますが、クラスの生徒たちは、僕にとって初めてクラス担任をして、そのまま持ち上がってきた生徒たちでした。
緊張の入学式から2年半。自分のことなど二の次、三の次にして、(大袈裟かもしれませんが)命を賭けて面倒を見てきた生徒たちです。
早く学校へ戻って、生徒たちの力になりたいと、身も心もボロボロの状態でも、その思いは揺るぎませんでした。
しかし、後から知ったことですが、僕の休職を受け、その日のうちに担任の変更が決定。(3学年の大事な時期ですから、当然のことでしょう。)
仮に僕が学校へ戻れたとしても、初めてのクラス、2年半自分を犠牲にしてまで全力で接してきた生徒たちを卒業させるという僕の夢は、この瞬間、崩れ去ってしまったのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次の「②教員になるまでの経緯」は明日の更新予定です。
