教員が忙しいということは分かっていましたが、想像以上でした。毎日残業で、月の残業時間は150時間程。休みも月に1日だけでした。それでも、夢を叶えた喜びから、1年目はその忙しさを「充実」と捉えていました。今思えば恐ろしいことです。
1年目は学年の補佐係でした。普段は学位主任の補佐をするかたちで、学年経営にかかわりました。日常的には学年の会計などの事務、行事などがあればその準備、休みの先生が出れば担任代行という仕事内容でした。当然、この他に自分の授業と部活動が入ってきます。
「教員は授業で勝負」と言われる通り、やはり授業は大事なものです。僕は毎回の授業が勝負くらいのつもりで、準備に準備を重ねて授業に臨んでいました。今でも覚えていますが、教員になって初めての授業は、割と英語を苦手とする生徒の多いクラスで全て英語で自己紹介をしましたが、途中ジュスチャーも交えたりしながら、英語で笑いを取ることができました。そして、丸一時間、生徒達に英語のコミュニケーション活動をさせました。あまりにも盛り上がり、隣のクラスの迷惑になるのでは?と思うほどでした。授業後、生徒が僕のところへ来て、「先生の授業、凄いです!」と目を輝かせながら言ってくれたこと、つい昨日のようです。
本当に授業は毎回工夫し、「この題材をどのように伝えれば分かりやすいか。そして、知的好奇心を刺激できるか。」と頭を悩ませながら、それでも楽しく教材研究できました。しかし、学年の仕事や部活動との兼ね合いで、授業の準備をするのは朝方でした。放課後は部活動。その後学年の仕事。疲れ果てて帰宅し、すぐに眠りにつき、朝3時か4時に起きて授業の準備をする。そんな毎日でした。
1年目、1番キツかったのは部活動です。それというのも、全く競技経験のない競技の顧問となったからです。半年くらいは、競技を見ていても何がなんだかという感じで、技術的な指導は一切できませんでした。そのあたりは生徒も承知の上なので、生徒主体の練習で、僕は安全面での管理や、練習態度についての指導、人間関係の円滑化など、そちらの方面に重きを置いていました。
それでも大会に行けば他の学校の先生方と競技についての話をしたり、大会運営をしたりしなければなりません。何をしてよいのかさっぱりで、正直毎回早く帰りたいと思っていました。他の学校の先生方との親睦会も苦痛でした。
それでも、1年間顧問を続けたことで、最後の方は紅白戦で笛を吹いたり、人数が合わないときは生徒に混じって紅白戦に出たり、そのくらいはできるようになりました。
心身ともに疲れ果てましたが、何とか1年目を乗り切りました。
ここで大きな転機が訪れます。2年目の公務分掌の内示です。
3月下旬、校長室に呼ばれ、次年度の校務分掌の内示を受けました。
いくつかあるコース(科といいましょうか)の中で、1番進学に重きを置いているコース(学校により、特別進学コース、国公立大学進学コースなど、そういった名称のコースです)の担任を命じられました。
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この続きはNo.2で。

