②「ウェールズとアイリッシュ・ハープ」 12世紀から13世紀ころ | アイリッシュ・ハープ研究家、奏者、制作者、音楽教育者 寺本圭佑

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ウェールズの君主グリフィズ・アプ・カナン (c.1055-1137) は、亡命先のアイルランドからウェールズ北部のアングルシー島に侵攻しました。


このときグリフィズが従えていたアイルランド人ハープ奏者たちがウェールズのハープ音楽を改革したという伝説が残されています。


アイルランド人は当時のウェールズのハープの音色を軽蔑して、teilinn と呼んだといいます。



teilinn とは「みつばちのぶんぶんうなる音」を意味する言葉で、ウェールズ語でハープを意味する Telyn の語源になったといわれています。


ジョン王のアイルランド遠征に随行したギラルドゥス・カンブレンシス(c.1146-c.1223)というウェールズ人聖職者がいました。



彼は「スコットランドとウェールズはアイルランドの音楽をまねしようとしている」と述べ、アイルランド人によるハープ演奏の素晴らしさを称えていました。


中世ウェールズのハープには「メジャー」という独自の音楽理論がありました。


メジャーとは10の組み合わせによるコードパターンです。


伝説によると、メジャーは1098年にアイルランドのグレンダーロッホで制定されたといいます。


中世ウェールズのハープには、さまざまな調弦法がありました。


その中には、「アイルランドの奇妙な調弦」や「アイルランドの悲しい調弦」という名前のものがありました。