謹賀新年。
今年は寅年。
年末にNHKのBS2で蜷川幸雄さんの9時間にわたる舞台映像を見続けて、年末年始はどうやら私の脳は疲れ気味になってしまったのでした…と言いながら、青空の下での酒宴は欠かさなかったのですが…こんなことを書くのは少し恥ずかしい……。
そうなんですね。
蜷川幸雄さんの舞台映像の前に、9月に放映された90分のロングインタビューも放映されていたのを思い出しました。
70歳を超えた蜷川さんの肉体と精神の活動原理が、インタビューの中で少し分かったような気がする番組でした。
…その中で、繰り返し蜷川さんが発したキーワードは「恥ずかしい」でした。
恥。この文化的な価値観が、世界の演出家蜷川さんのパワーの源泉になっているとしたら、私が、こうしてブログでこんなことを書いていることの「恥ずかしさ」にも通ずるのかと…勝手に思っているのです。
恥ずかしながら…生きて帰ってきました…南の島で1人孤独な戦争を続けていた日本兵が帰還した時の言葉でした。
この恥の概念には、個人に積み重なっているある種の価値観が確かに色濃く反映されている。
……今年のブログは、恥ずかしさ…これが私のテーマになりそうです。
今年もよろしくお付き合いください!
今年も、もう終わり。
2009年の自分は、戦略を見直すことに没頭し、現場に深く入りこむ日々が続いた。
現場は、戦場ですね。
戦略は鷹の眼で状況を俯瞰するのが役割。
しかし戦術を通り越して戦闘場面に自分が登場すると、
必要なのは、やはり「蟻の眼」でした。
現場の闘いの中に身を置くと、
全体は見えてこない。
全体が見えないと‥‥言葉を失う!
言葉でスケッチする余裕はなく、
自分が死なないように、飛んでくる矢を打ち落とすのに精一杯になってしまうのでした。
全身傷だらけになって、
それでも生きようとする自分を奮い立たせ、
誰かに何かを伝えることの困難さに直面したのでした。
‥‥そこには言葉はなかった!
でも、「言葉のない世界」(詩人田村隆一)に巻き込まれて、
私は沈黙という素晴らしい表現の奥行きを感じた。
信頼というのは、このなところにあるのかもしれないと、
青臭い実感を得たのも事実でした。
そして気がつけば、今年も‥もう師走。
来年も、まだまだ格闘が続きそう!
このブログがどこまで続くか分りませんが、
時々は遊びに来て頂いた皆様に、
深く静かに感謝いたします。
皆様にとって、良い一年が始まりますように‥。
2009年の自分は、戦略を見直すことに没頭し、現場に深く入りこむ日々が続いた。
現場は、戦場ですね。
戦略は鷹の眼で状況を俯瞰するのが役割。
しかし戦術を通り越して戦闘場面に自分が登場すると、
必要なのは、やはり「蟻の眼」でした。
現場の闘いの中に身を置くと、
全体は見えてこない。
全体が見えないと‥‥言葉を失う!
言葉でスケッチする余裕はなく、
自分が死なないように、飛んでくる矢を打ち落とすのに精一杯になってしまうのでした。
全身傷だらけになって、
それでも生きようとする自分を奮い立たせ、
誰かに何かを伝えることの困難さに直面したのでした。
‥‥そこには言葉はなかった!
でも、「言葉のない世界」(詩人田村隆一)に巻き込まれて、
私は沈黙という素晴らしい表現の奥行きを感じた。
信頼というのは、このなところにあるのかもしれないと、
青臭い実感を得たのも事実でした。
そして気がつけば、今年も‥もう師走。
来年も、まだまだ格闘が続きそう!
このブログがどこまで続くか分りませんが、
時々は遊びに来て頂いた皆様に、
深く静かに感謝いたします。
皆様にとって、良い一年が始まりますように‥。

レジナルド・ローズ作、蜷川幸雄演出、額田やえ子訳、「十二人の怒れる男」を東京渋谷のBunkamuraシアター・コクーンで観た。
1957年ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したあまりにも有名な作品に、日本の巨匠・蜷川幸雄さんが挑戦した芝居だ。
自分の父親を殺害した罪に問われる16歳の少年を裁く。陪審員制度の確立したアメリカの、最後の判定のために12人のおじさん達は閉ざされた部屋の中で激論を繰り広げる。最も重要なキーワードは、「疑わしきは罰せず」というロジック。絶対的確証のない場合は、有罪とは言えないというこの論理は、欧米特にアメリカ人の思考様式の代表とも言え、絶対的確証を得るために激論が戦わされる。この物語はまさにディベートの典型的な素材としても価値があるのは確かだ。
そんな中、日本人の情緒半分、論理半分の中庸の思考様式からみれば、素直には受け入れられないこの論戦を、今、蜷川さんが果敢に芝居の「板」の上に載せたわけですね。論理的展開では群を抜いている陪審員4号。辻萬長さんの良く響き渡るボイスが論理とマッチングして説得力があった。かつてはヘンリー・フォンダが制作し自ら演じた陪審員8号の役は中井喜一さんが担当している。
全員有罪に対して、最初に意義をとなえた役柄だ。ロジカルではあるが正義を信ずるその姿勢から「確証」を求めて有罪に反対する立場を貫く。中井さんの静かだが熱い雰囲気が、舞台全体を誘導していたのは事実だ。激情型の典型を演ずる西岡徳馬さんもいつもながらいい。筒井道隆さんは実に遠慮がちで、控え目な演技だった。
蜷川さんのこの演出。
果たして、陪審員制度が始まった日本の裁判所のどこかの部屋でも繰り広げられているのだろうか?
いいゃ‥日本人は、容疑者の心情に深く入ろうとするのだろうな‥。恐らく、三谷幸喜さんが描いた「十二人の優しい日本人」のほうが、心情的には近いのが事実なんだろうな‥。
でも、今回の作品は、キワモノ的要素がほとんどなく、最も蜷川さん的世界から遠いところで演出されたようにも思えましたが‥‥見終わってみれば、あっという間の2時間半でした。
納得。
脳科学を分りやすく庶民に解説してくれる茂木健一郎先生が、4億円を上回る所得隠しを国税庁から指摘された。これだけテレビに登場すると、いかに多くの所得が得られるかということでもありますが、これまでの慣例からすればテレビ番組は大方出演できなくなりますね。
しかしNHKのプロフェッショナルのMCを担当する茂木先生の番組では、「本人が反省しているので‥」というテロップが流れて、そのまま放映されました。
このNHKの態度に私は賛成だと思ったわけです。
脱税と節税。実は紙一重。会社を経営している人であれば、税務調査と称される「あら捜し」で、税務申告の間違いを指摘される経験はありますね。税は申告制ですから、自分で計算して提出する。一旦は自己申告した税ではありますが、その申告の方法が正しいものであったか、間違っていたかは、どうやらも「ものの見方考え方」で随分違う。
節税をしたつもりが脱税といわれれば、大概は「修正」して申告しなおして、税務署に収め直すことになります。この行為は、法律違反ではない。誤りを認めて修正する行為が法律に違反した罰則として行われることはないのですね。(但し、悪質だと指摘されると重加算税というお仕置きが待っているので、単純に間違えましただけでは済まされないリスクもあるのですが‥)
で、公共の電波に登場している人が、こうした申告の方法を間違えたということで、降板させられる過去のケースを見ていて、少し違和感を覚えていた私は、今回のNHKの判断を断然支持したいと思うわけです。
いかがでしょうか?
しかしNHKのプロフェッショナルのMCを担当する茂木先生の番組では、「本人が反省しているので‥」というテロップが流れて、そのまま放映されました。
このNHKの態度に私は賛成だと思ったわけです。
脱税と節税。実は紙一重。会社を経営している人であれば、税務調査と称される「あら捜し」で、税務申告の間違いを指摘される経験はありますね。税は申告制ですから、自分で計算して提出する。一旦は自己申告した税ではありますが、その申告の方法が正しいものであったか、間違っていたかは、どうやらも「ものの見方考え方」で随分違う。
節税をしたつもりが脱税といわれれば、大概は「修正」して申告しなおして、税務署に収め直すことになります。この行為は、法律違反ではない。誤りを認めて修正する行為が法律に違反した罰則として行われることはないのですね。(但し、悪質だと指摘されると重加算税というお仕置きが待っているので、単純に間違えましただけでは済まされないリスクもあるのですが‥)
で、公共の電波に登場している人が、こうした申告の方法を間違えたということで、降板させられる過去のケースを見ていて、少し違和感を覚えていた私は、今回のNHKの判断を断然支持したいと思うわけです。
いかがでしょうか?
今日は世間話口調で……
容疑者として全国に指名手配されるとさ、
どこの都市でもどんな横町の塀にも、
容疑者の顔写真が公開されるよね。
この顔にピンときたら直ぐに110番だ!ってさ…
それに今回は懸賞金がかかっていたし…
でもさ、一旦容疑者が確保されると、護送の最中に
その顔を覆って世間に見せまいとするのは何故なんでしょうね?
むしろ3年近くも警察官は敵前逃亡した容疑者逮捕のために頑張ってきたんだから、
この悪人(あくまでも容疑者ですけど…)を捕まえたとばかりに、
誇らしげに容疑者の顔を世間にさらしたほうがいいのではないかと、
そんなことをつくづく思ってしまったのでしたがね…。
でないとね…もしかしたら、昨夜の新幹線で護送されてきた容疑者は、
本当は誰だか分からないから、偽物だったりする可能性もないわけではないよね。
我が日本では、僅か100年前には、犯罪者は市中引き回しの上、切腹。その後、三条河原に晒し首とされる…こんなシーンが当たり前だったわけでしょ。いわばミセシメ。それが今は顔隠し。その変化の理由が分かんないわけよさ!
だれか、ご存知ですか?
容疑者として全国に指名手配されるとさ、
どこの都市でもどんな横町の塀にも、
容疑者の顔写真が公開されるよね。
この顔にピンときたら直ぐに110番だ!ってさ…
それに今回は懸賞金がかかっていたし…
でもさ、一旦容疑者が確保されると、護送の最中に
その顔を覆って世間に見せまいとするのは何故なんでしょうね?
むしろ3年近くも警察官は敵前逃亡した容疑者逮捕のために頑張ってきたんだから、
この悪人(あくまでも容疑者ですけど…)を捕まえたとばかりに、
誇らしげに容疑者の顔を世間にさらしたほうがいいのではないかと、
そんなことをつくづく思ってしまったのでしたがね…。
でないとね…もしかしたら、昨夜の新幹線で護送されてきた容疑者は、
本当は誰だか分からないから、偽物だったりする可能性もないわけではないよね。
我が日本では、僅か100年前には、犯罪者は市中引き回しの上、切腹。その後、三条河原に晒し首とされる…こんなシーンが当たり前だったわけでしょ。いわばミセシメ。それが今は顔隠し。その変化の理由が分かんないわけよさ!
だれか、ご存知ですか?