栄久庵憲司さんの「道具論」に触発され、
思考の道具を考えることの試みを、
この道具論では展開したい。
著書「道具論」の序章は、
栄久庵さんの道具との出会いが克明に記述されている。
人間が生み出した創造の産物としての道具。
原爆投下後の故郷ヒロシマの街を彷醒している時に出逢ったモノ達。
特に一瞬にして瓦解し、焼け残された市電の残骸を見て、
氏は、道具を供養せずして、
人間を供養できるのか、道具と人間の関係性に気づきを発見する。
人間世界の裏側にある道具世界。
道具と人間の共生を求めて、
本著は書き込まれている。
‥‥おつきあいの仕方、
お互いの関係をよくしていくには、
ルール、作法、躾がいる。
これを求めていくのが、
人間による道具世界行脚という
フィールドワークの記録報告=
モノグラフとしての道具論なのである。
‥‥道具は人間のつくり出すものである。
だから道具世界は人間世界の映しでもある。
道具論はおのずから、
道具を通して人間を映しみる人間論となる。
これが序章で定義された道具論の論旨である。