栄久庵憲司氏の「道具論」は、
2000年10月に鹿島出版会から発行された。
栄久庵さんは、日本の工業デザイン界の草分け。
キッコーマンの卓上醤油さしのビンを開発してことでも有名ですね。
私が「道具」という言葉に触発されたのは、
1969年に栄久庵さんが出版した
「道具考」。
そこには具体的な人間世界に対する
道具世界の存在と、その意味する仮説が描かれていた。
この著作から31年後に、
道具論が纏められたわけですね。
仏門の家庭で生まれた栄久庵さんは、
道具との出会いを三つにまとめている。
故郷ヒロシマ。
原爆投下直後のヒロシマ体験。
原爆を戦争の道具として創ったのも人間、
そして使ったものの悲劇と、受けたものの悲劇。
その光景を見て、
‥美への帰依が道具の悲しみを救う。
という直感。
また、道具には生命がある、心がある、
という直感。
だから人間世界に対して、
道具世界があるのではないかという仮説。
道具は自ら道具を作れない。
だから、人間が作った道具は、
常に人間を見つめる。
こんな言葉の数々に、
私は多くの触発を受けたわけです。
考える道具を考えるというタイトルも、
栄久庵さんの「道具」という言葉から来ている。
栄久庵さんの道具はデザインとしての道具。
私の道具は、思考の眼に見えないものを見えるようにするための道具。
双方に共通するものが、人間の心、でしょうか?
栄久庵憲司氏の「道具論」を再読し触発されて、
少し書いていこうと思います。