栄久庵憲司さんの「道具論」第一章は、
道具寺山門見ゆ、というテーマである。
冒頭に、こんな一文がある。
‥進化とは人と道具の関係の進化、
でなければならない。
道具は、その人の生き様の反映、鏡である。
日本の近代化の道筋は、
戦後の貧窮からの脱出のための、
アメリカの物質主義への憧憬から始まった。
と氏は指摘する。
その後、道具は次々と進化をとげ、
便利なモノの創造は、人の欲望の上限を超えていく。
必要以上の利便性が提供されるようになり、
人が本来持っている肉体の機能そのものを退化させる結果に繋がった。
便利であることは、全ての目的ではない。
道具の過剰な創造により、
道具の遺骸がそここに出現する。
産業廃棄物、粗大ゴミ。
都内のマンションに暮らしていると、
引越しが行われる度に、
ゴミ置き場に遺棄される、
ソファー、食器棚、椅子‥。
それらが使える状態であることが明らかであっても、
使う側の人間が捨て去ることで、
道具の行き場がなくなる。
とても異様な光景だな‥と感じる。
道具とともに、このマンションでの生活全てを遺棄し、
その住人はどこに向かうのか?
道具と人間との関係性の調和。
道具を語る時、その思想がなければ、
日本は精神的に貧窮することは間違いない。