内田 樹先生の「日本辺境論」(新潮新書、2009年11月刊)は、アジアの辺境の地、世界の辺境の地に住む私達日本人の本質を改めて明かにした名著といわれています。
本著で一貫して言っていることは、次の辺境の定義の言葉の中に集約されていると言ってもいいと思いますので紹介しましょう。
『ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以後「辺境人」と呼ぼうと思います。』
絶対的価値体は、日本の中にはない。
海の向こうのどこかにある。だから、日本人の価値観は、常に、その「何か」との距離感の中で生まれる。また、何かを実践する時の責任も、同時に外部のどこかにある。だから日本という島国で起きていることは、最終的には自分達の中の誰かの責任ではない‥と漠然と多くの人が思っている。
こういう日本人論に素直に頷いてしまうのも、結局辺境人だからでもあるからでしょうか?
この難解な新書がべスセラーに迫っているというのも皮肉なことではあります。
ところで、バンクーバーで開催されている冬季五輪。
ほとんど盛り上がらない冬のオリンピックではありますが、マスコミは無理無理、ヒーロー、ヒロインの登場を願い、世界のレベルにようやく何とか対抗できるスキルとマインドを持った僅かな選手に誇大な期待をかけていますね。相変わらず。
しかし日本の報道の最近特に顕著な欠落は、世界の状況を報道することをほとんどしないこと。日本のメダル候補と世界の強豪との比較検証をほとんどしない。だから盛り上がらない。
上村愛子選手が、メダルに一歩届かず「4位」であったことを、本人以上に日本人がどれだけ悔しがっているのかは疑問でもありますが、世界の強豪がどんな人で、上村選手のポジションがどのレベルにいるのかを正確に報道していれば、今回の4位は大健闘といわなければならないでしょう。
にも関わらず、新聞のほとんどはお涙頂戴で終始し、技術レベルの解説をすることはない。「何故2位では駄目なんですか?」どこかの体育館で何だかの仕分けをしている時の、ある女性議員のこの言葉が何故かシンクロします。「何故4位じゃ駄目なんですか?」よく頑張ったじゃありませんか? 愛子選手は!
結局、辺境に住む日本人は、世界を冷静に情報収集して比較検証するという「方法」を好まないのでしょう。他国の優れた選手の情報が報道に出てこないのは、そんな情報を流しても日本人には好まれないことを知っているからです。世界を意図的に「隠す」ことで、このイベントを仮想的に盛り上げることでしか「方法」を駆使できないことの哀しさを、私は見ているようでもあります。
腰パンのお兄ちゃんのほうが、メダルに一番近いという皮肉は、何を現しているのでしょうか?