少し、間隔があいてしまいましたが、
また、書き続けていこうと思います。
『多くの人は、物そのものや状況そのものを見ていない。
その物にまつわる自分の思いや執着やこだわり、
その状況に対する自分の感情や勝手な想像を見ているのだ。
つまり、自分を使って、
物そのものや状況そのものを隠してしまっているのだ。』
超訳「ニーチェの言葉」(白取春彦訳・ディカバートゥエンティワン発行 2010年1月15日刊)という箴言集に掲載された言葉です。(超訳ということばがあるのでしょうか?)
10代の私が最も影響を受けたニーチェという哲学者。長い年月を経て、再び書店の店頭で出逢ったニーチェの言葉でした。
事実と真実の違い。人は自分が目の当たりにした事実の側面を語ることは出来ても、真実を語ることはできない‥‥なんていう分ったような分らないような気分になって、ジャーナリストの道を自分で断ったつもりになったのが20代の前半でした。
自分のまわりにある「物や状況」の認識は、本来は意味を持たず、そこにそうして「在る」だけなのだが、そこに自分の感情や思いや執着を写し込むことによって、言い換えれば、自分の言葉で語ってしまうことによって、あるがままの状況とは違う何かを描いているだけになる。
人が語ることとは、そういうものなのだということを認識した上で、他者と本当に心から交流できる言葉とは何なのか、そんなことを考え続けていきたい。
‥それにしても、言葉で語ることによって、
隠そうとするものとは何なのでしょう?